猛者日記

大学生のブログです

地元の思い出と川崎

 

ルポ川崎という本を読んでいた。連載は読んでいたのに単行本を今更買った。自分は18年間、川崎の近くで過ごしているけど、いまだに街中でBAD HOPに出会ったことがない。そういう意味ではやっぱりここの住人にはなれないなという気がしてくる。

 

京急線の川崎駅を出て左に曲がり、DICEの裏手にある商店街(銀柳街)を通り抜け、チネチッタへと向かう。休日になると街に親子連れが溢れる光景も見慣れてきた。街が変わった様子も結構慣れてきた。

ただ商店街の入口で歌うおぼっこいシンガーソングライターのライブは、競馬で金を失ったような人々に囲まれていて、その光景を見るとラゾーナのステージが実際の距離より遠く感じる。

商店街の途中にある交差点で信号を待っていた。ふと目を下にやると植木に大量の吸い殻と何枚かのパケを見つけた。街の中心地でパケをやる街。以前に比べてずいぶん安全な街になったと思うけど、裏社会が近くにあると実感するのは怖い。

 

そういえば中学生のとき、川崎近くの土手を自転車で走っていたら「覚醒剤あり〼。」という身も蓋もない看板がでかでかと置かれていた。もっと見えにくい場所に書けよとか、〼を隠語にする前に覚醒剤をどうにかしろよとか、あんだけ隠語に豊富なバラエティあるの覚醒剤か男性器くらいなもんだぞとか、色んな考えが0.5秒で頭を巡った後、危険という二文字が頭に浮かんで、急いでその場を離れたことがあった。その一週間後に友達引き連れて、度胸試しにもう一度その場所に行ったら、もう看板も何もなくなっていた。タヌキに化かされていたのだと思いたい。

地元は川崎じゃないけどとても近くで、自転車を使えばどんなに学区域の離れたやつでも30分あれば到着できる距離。中心街に行くために川崎の風俗街を駆け抜けていく小学生。店の前に立ってるボーイはどう思っていたのだろう。土地柄としては、ガラは悪いけど本職になれるほど度胸もない、っていうなんとも微妙な感じで、火遊びしてたら不注意で土手の草を全て燃やしてしまったというバカが一番のワルとして神格化されていた。彼は転校して誰も知らない街に移ったらしい。

あと新興宗教の盛んな地域で、中学のとき、同級生とケンカして謝りに行ったら、そいつの家が信者で、その仲間の同級生が何日間かネチネチめんどくさかったり、初めて好きになった女の子も信者だったり。当時、自分の好きな女優は清水富美加だった。信者フェチとかなのだろうか。もしかしたら教祖の素養があるのかもしれない。ワースト3に入るくらい要らない素養である。

 

そんな地域だけど、やっぱり川崎が近いからか、何となく警察沙汰には慣れてしまっていて、同級生の兄で部活の先輩だった人が少年院入ったという話を聞いたときは、驚きよりも笑いが先にきていた。それでも、家とは反対岸の土手で凄惨な事件が起きたときは心から恐怖を感じたのを思い出す。2015年なのでまだ中学生のときである。地元の野球チームに所属してたクラスメイトが犯人の一人以上と友人という事実。なんだか慣れきってしまってた異常な現実のもやが少しずつ晴れて、目が覚めていくような感覚。自分の居場所をもう一度、思い知らされている気がした。

 

自分はよそ者だけど川崎という土地で育った意識がある。川崎生まれじゃなければ、こんなに好きな映画も趣味にすらなっていなかったと思う。チネチッタ・TOHOシネマズ・109シネマズ、地元に三つも映画館があるなんて、こんなに豪華なことがあるだろうか。渋谷や新宿に行かなくても、川崎だけで済むのはありがたい。最近、JRの北口が開通して、京急側からラゾーナへの生きやすさが上がったし、チェーンの飲食店も大抵は探せばある。ライブハウスだってクラブチッタボトムズアップがあるし、本屋だってDICEのは潰れたけどラゾーナに大きいのがある。川崎出身のSHISHAMOは紅白出たし、フロンターレは連覇した。BAD HOPは武道館成功させた。最近は本当に不自由なく暮らすことが出来る。街もキレイになって治安の良さを本当に感じる。だからかわかんないけど自分は北部の人間だと感じる。

 

小沢健二は自分の無気力さを「川崎ノーザンソウル」というらしい。かっこいいから真似しようかと思ってる。dodoとかアルピーの酒井ちゃんは中央とか北部の人ですよね。でも確かに南部の人に比べて、地元には無気力な人間が多いと感じる。18になった瞬間に地元のやつが夢も希望もなく、何となく生きてるやつばっかりでちょっと悲しくなった。それよりやっぱり自分はBAD HOPやJJJ (from Fla$hBackS) みたいな南部のスターに憧れる。九龍城にもたまに行くし、ラゾーナの広場でFebb気分味わっちゃう。

 

 

そういえばこの前川崎で「キックス」という映画を観た。カリフォルニアに住む男の子が主人公。スニーカーによってヒエラルキーが決まるようなストリートで、奪われたジョーダン1を取り返すって話なんだけど、暴力・麻薬・ラップが子供の日常に存在してる感じが、川崎の南部にとても似てると思った。映画館で横の席にヘッズ風の2人組が座ってたのも良かった。

おそらく北部の自分には南部に対してぼんやりとした羨望と恐れがある。畏怖というのが一番適切かもしれない。南部の彼らが背負う川崎に憧れて、でもそうはなれないまま、ずるずると大人になるのだろう。

 

終わりのない何となく書いた文だけど、18年自分がいた場所を再確認できる機会になったと思う。

そういえばマルイの跡地に水族館が出来るらしい。川崎もまだまだ変わりますね。

でもキレイになるだけじゃ寂しいし、"汚れてた部分"が居場所だった人たちは何処に行くのだろうか。