2024のメモ・後編
前編・中編の続き。といいつつ連続性は一切ないです。
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「何故かお笑い用語っぽくなってる言葉「抑え直し」」
カニとチャーハンもよく聞く気がする。カニチャーハンってお笑いすぎる食べ物かも。
「「起動」って言葉、機械にしか使わないけどいつ生まれた言葉なんだろ」
機械にしか使わない言葉って意外と多いけどいつ生まれてるんだろ。明治維新以降に生まれた漢字って全部を夏目漱石が作ってそうですよね。翻訳して日本語には相当する言葉がなかったので、みたいな理由で。
「選択肢が無限か有限かを分けるポイントって、初めから無限個の選択肢がある、ということではなく、有限個の選択肢に加えて+αの選択肢を自由に作り出す余地があるか否か、ではないのか?」
要は人間のクリエイティビリティが反映されうるか否か。そこにこそ無限択=可能性が残されている、ということで初めから可能性がとじられている場合は無限ではないのではないか。
「形は同じだけど意味が変わっていく。同型異義?的な。構造とモチーフのどちらに比重が置かれるか。構造とモチーフが有機的に組み合い一つのものとなっているか?」
例えば水戸黄門とか必殺仕事人みたいな話は同じ構造を毎週リフレインさせているけど、モチーフの選択だったり、視点のずらし方によっては、いつもと同じ型をしていること全てが効果的に物語を輝かせることも出来るはず。例えば冒頭に1シーンだけ、いつも成敗されるだけの悪人側に視点が映ったら。退っ引きならない事情を抱えて、悪事に走る悪人。視聴者のみがそれを知っている状態で、何も知らずいつも通り悪人のもとに忍び寄る黄門一行の正義の鉄槌。勧善懲悪といういつも通りの構造が、冒頭の置き石1つでオセロのように全て裏返っていく。そのまま印籠を見せ、何も知らずいつも通り立ち去る黄門一行。一度、敗北の苦い味を覚えた視聴者にとっては、その後の通常放送すら苦く思えるのではないか。
「架空コンビ名 「ヘビと図書室」」
『ヒストリエ』の冒頭。この物語は「ヘビ」で始まるのか、いや違う。そんな主人公の回想を経て4巻でようやく辿り着く「図書室」 言うまでなく、この物語においてヘビはアレキサンドロス、図書室はエウメネスのメタファーであり、同時に知力と暴力のメタファーでもある。歴史漫画が悉く暴力の側面によって哲学を語る中で、知力をもって歴史を紡ぎ哲学を語ろうとする人間讃歌の宣誓が、ヘビと図書室。
「フョードル ロシア宇宙主義 「重力=死」の克服 窪塚洋介 アイキャンフライ」
窪塚洋介はロシア宇宙主義に傾倒して死を克服しようとあのような行動を取ったとする仮説。
「楽しみは最後に取っておく派かつ死は救済、と思ってるから死んでないだけで、死ぬタイミングくらいは我がの好きにさせーよ、とは思うことが多い。死にたくない人が死に追いやられるのを忌避するという意味でも。
だから三島みたく選択して満足した自死はそれで良いじゃんと思う。ただ罪を清算しない逃げの死は赦したくない気持ちがある。罪=死だけでなく罪=不死のモチーフも多いのはそういう意味かも。罪の清算のために永遠の労働。でもそれって現世でも来世でも途方もない償いを課せられる、という点では一緒なのか。」
ヴァンパイアの眷属になり不死を課せられる、という罪。ヴァンパイアが何かのモチーフでなきゃ納得いかない設定ではある。共産主義者の作者がヴァンパイアを資本主義のメタファーにして描くとか。
「こと漫画原作における西尾維新の特徴って一言で言えば「過剰」だと思う。漫画的ハッタリ故の過剰さじゃなかて、キャラをとにかく鋭角にするための過剰さ。
この過剰さは、ディスガイアの桁がインフレしまくる感覚に似てると思ってて、過剰に数字を盛ると受ける感覚はかなりネット文化と相性良い。ただ人数が増えすぎると当然胃もたれする。それ故にワールドトリガーのインフレさせないという静の読み応えが少年漫画の読者に受けてるのではないかなと。あと単純に少年漫画もSNSの普及で読者の読解力がかなり上がってるので、原作の機微とか差異は繊細なほどちょうど良いのではないかと思う。少年漫画に繊細さばかりを求める時代は健全ではない、というマシリトの意見も大いに分かるところなのですが。」
子供の触れるエンタメは加速度的に早く、いまの若者が触れる最先端の文化と重なり始めていて、それをなかなか認識できずにいる大人は多い。と同時に流行と子供の情操が間に合ってなさすぎると感じることも多いので、極端に賛成反対は得策ではない、といういつものスタンス。でもいまって子供用アニメが全然ないんですよね。その需要をパウパトロールが一手に担っているという噂を耳にしました。
「リバーベッド、キツすぎるのでデウス・エクス・マキナ的にBAD HOPに登場してもらって、全てを解決して欲しい」
BAD HOPが登場してむちゃくちゃにしてくれても良いと思ってしまうくらい、川崎民にとっては身に覚えがありすぎてキツい漫画。みんなの知り合いにも一人はいる勾君。もちろんBAD HOPが登場することはなく、完結しましたが、厳しい戦いの予感とともに、微かに未来の希望が見えるラストで個人的には好みでした。これだけ現実におきたセンセーショナルな事件を扱いつつラストだけファンタジーなんて興醒めですもんね。
「頭痛が痛い、って身体の危険ゆえに発生したエラーメッセージで、それでいながらたとえ情報欠けがあったとしても、確実にヘルプのメッセージを届けるぞ、という気概があるわけだから、それを聞いて意味が重複してるとか、そんなどうでも良いようなことを気にする連中は、つまらないし最悪な連中だと思ってる」
情報欠けというのは、"頭痛"or"痛い"のどちらかが聞こえない場合を想定してるんですけど、逆に言えばどちらかさえ相手に届けば、異変を伝えられるという決死のメッセージなわけですよ。それを日本語がおかしいとかいうの、文法以前に学ぶことがあるんじゃないか、という屁理屈。
「ハリウッドのアクション映画シリーズの最新作の中盤、急に出てくるメチャメチャ体術の強い敵」
『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』のトイレに出てくる人とか、マルコ・サロールさんとかスコット・アドキンスが演じる諸々のキャラ。
「世界一売れるセブンイレブンはTBSの中の店舗」
ここまで読んでくれた人に持ち帰って欲しい豆知識
「ボードゲームが好きな理由、メカニクスとフレーバーの邂逅が美しいところで、特に3Kみたいなレジェンドのアーティストはそこが卓越していて、遊び勝手とモチーフが美しく噛み合ってるときは感動すらある。でも、これって結局はデザインにおける「用と美」と同じかもしれない。
キャラゲーがつまらなくなりやすいのは、原作があるゆえに美が先行した縛りのせいで、キャラのないゲームが味気ないのは用が先行しすぎたゆえかもしれない。
ポケモン(というか現行のオンラインゲームほぼ全て)はガチ勢になればなるほど、用が先行してしまう構造なんだけど、アナログゲームは突き詰めるほど、モチーフの真髄であり、人間がジレンマを抱えるシチュエーション=モチーフの再現になっていく、つまり用を突き詰めるほど美も突き詰まっていく気持ちよさ。
あと忘れがちなのは、究極まで突き詰めた「用」は時として「美」に昇華しうるということ。」
究極まで突き詰めた「用」の一例としてテトリスが挙げられます。
「もやしもん読んでて思ったけど、アミラーゼが人より大量に出るマツコ・デラックスって質の高い口噛み酒作れるんじゃないか」
口噛み酒の初見、あなたはどこから?
「ブランドの旗艦店ばっかみたいな街って、何でも揃うから田舎者は来るかもしれないけど、別に面白味があるわけじゃないから都会の若者は行かなくなりますよね。大人も知ってた街と変わっちゃうから足が遠のいたり、そもそも騒がしい街好まなかったりする。そうして結局衰退こそしないけど、文化のないつまらない街としてゾンビ化していく。」
渋谷のことですが。ミヤシタパークって渋谷の墓標なのかもな。ディベロッパーがアイロンかけた街(a.k.a.フリクリ)は文化的に死んでいく。
「2700はお笑いのルールを守る部分と独創性の部分のバランスが完璧。吉本のコント師(最近は少し潮流変わってるけど)ベタを追求し続ける間にお笑いの核みたいなところに触れがち。2700以外もバンビーノ、モンエン、コロチキ、天竺鼠、コントの時のかまいたい、隣人あたりのKOC決勝ネタはベタの追求から生まれてる感覚ある」
かまいたちって漫才師とかコント師じゃなくて、総合芸人って感じがする。かまいたち以外だとマヂカルラブリーとかもそう。お笑い版のMMAみたいな。総合芸人ってトレンドのような気がするけど、色気みたいなのはない。お笑いにおける色気の説明ムズイ。漫才師には漫才師の、コント師にはコント師の色気があって、コント師のやる漫才にはコント師特有の色気が出てる。逆も然り。総合芸人はコントも漫才もそれぞれの文脈じゃなくて、総合お笑いの文脈で鍛えてるから色気がない、って考察。ただかまいたちより下の世代の総合芸人は漫才とコントそれぞれの文脈の色気を備えたヤバいのもいる。
「マンガで描かれている男の娘、いまや禁忌や耽美さが失われて、ただのフェチズムに成り下がったとすら思ってるんだけど、これって社会的な容認や現実社会への出現が帰って秘匿性を失わせた結果なのかな」
存在が可視化されたことで神秘性は失われるって考えると、パンダが空想上の生き物じゃなくなった瞬間も似たようなことがあったんじゃないか。
「座王×鬼レンチャン観たいな
回る人間は西田さん固定で、それぞれの椅子に座り続けてる芸人をただただ倒して鬼レンチャン達成狙うっていう。
ギャグの怪奇 大喜利の堂前、R藤本 モノマネのフルポン村上、キンタロー。 1分トークのチャンス大城 メンチ平子 みたいにそれぞれ強い人と戦う」
座王って構造的に総合力のある人間は勝てるけどスペシャリストは生き残るのがかなり難しいので、特番として一人一殺感あるバージョンも見てみたいんだよな。大喜利の二人とかセルライトスパ大須賀、たんぽぽ川村、アジアン馬場園あたりの座王経験者が挑戦者になってるのもみたい。逆に10連目で西田さん出てきたら泣くけど。
「森薫、実は漫画読みまくってるらしいんだけど、漫画読みまくってる人の描く漫画じゃなさすぎて面白いな。
でもたしかに一見すると藝大出身でほとんど漫画読まずにセンスだけで投稿始めた人の漫画としか思えないんだけど、読みやすさとか導線の引き方は、漫画知り尽くした人のそれ。」
漫画と違う文脈から来た天才に見えるほど、漫画を読み尽くした秀才って一番強いかも
「伊集院のばらえてぃーのだるまさんが動いたら…の回、大ネタが嘘喰いのマキャベリカードと一緒」
どっちかだけ見てたらネタバレで申し訳ないです。でも片方好きならもう片方も絶対に好きなので見てください。
・11月
「オスティナートの中で異化作用を感じるのがミニマル・ミュージックの思想」
繰り返しているようで少しづつ進行がある気持ちよさ、って近年失われがち
実は時間を浪費する活動がいまの時代一番贅沢なのかも
「占星術のダンス」
〇〇のダンスって書けばオシャレなタイトルとかグループ名になる気がしてます
ネーミングセンス皆無なので
「〇〇とても楽しかった。それ以外のことはちょっとだけ楽しい」
何かを褒めときに使えそうな修辞
「いしがまやは石ちゃんのまいうーサインをコピーして使い回してる」
としか考えられないくらいどこの店舗にもサインが書かれてるんだけど、本当に石ちゃんが全部書いていると考えたらその方が怖くないか。秋元康だってゴーストライターじゃなくて本当に本人が書いてると思う方が嫌だから、みんなゴーストライター信じてる。
「「小説に出てくる学者なり大学教授なりは、授業や講義をしないし、その内容が読者に知らされることはない。」/『新文学入門 T・イーグルトン『文学とは何か』を読む』大橋洋一」
なるほどと思った文言。チェーホフの銃みたいな。
「東横インを使って『神の灯火』のトリックやれそう」
詐欺のコツはターゲットが思う100倍の規模でやること
「キリストの綴りは最後にt(十字架)」
海外小説のジョークにありそうじゃない?
「ドラゴンボールから続くバトル漫画のインフレの系譜に、話が進むほど弱くなる、まさかのデフレの形でアンチテーゼを示したどろろの作者が手塚治虫なのいい加減にして欲しくない?いくらなんでもオーパーツがすぎる ← ゲームだとリバースローグライクというジャンルらしい」
矢印前が2020年のメモ。3年越しに関連する知識が拾えたりするのがメモの良さ。FC版パルテナの翼は序盤が異常に難しくて、後半行くほど簡単になる変な構造。
「Nasのパンチラインは「睡眠は死の従兄弟」だけど、タナトスとヒュプノスは従兄弟じゃなくて兄弟」
水銀(Hg)はレントゲニウム(Rg)の相方、っていうのも思いついた。
「ロシアフォルマリズムにおける自動化した記号」
研究用のメモ。ミニマルミュージックの話に通じる。
「街の廃れを感じるのって、人の少なさとかボロくなった建物より、手入れされてない花壇とか街路樹なんじゃないか」
お台場を見てそう思った。そこまでビルの廃れは感じないんだけど、どう見ても人通りがなく生えっぱなしの街路樹とか何も生えてない花壇。お台場や石原どもが夢の跡。
「物語を多く読んできた人間が一番恐怖するの、どれだけ読み進めてもその物語のテーマとゴールが見えてこない時な気がしてきた。それでいながら物語に推進力が伴われてると、もう手も付けられないというか、読み進めない気が済まなくなる。(もしくは低評価を下して自分と関係のないものとして遠ざけるとか)」
物語の目的が見えないのメッチャ怖いんだよな。これ体験した人しか分からないような気がするんだけど、どこが目的か不明の小説って異常な不安を感じるんですよね。目的不明だと読んでて疲れるんだけど、本当に上手い小説家ってそれでいて読ませてくるのがすごい。
「宗教は前の世界の憲法だった。」
憲法の後の世界はAIがルールになるのか?
「歴史上のグーテンベルクには、活版印刷のヨハネス・グーテンベルクとグーテンベルク不連続面のベノー・グーテンベルグがいる」
これが頭の中で混ざってる時期があったけど時代が違いすぎる。
・12月
「コロリころげた木の根っこはプロバビリティの犯罪」
乱歩も扱ってるけど当時の作家が頭捻って生み出した完全犯罪の結論の一つが一致するの面白い。
「注意散漫、というか興味がすぐ寄り道しちゃうので、なるべく自然かつ小さな興味の円環構造を辿って元の作業に回帰するよう心掛けてる」
興味の引力を通じてスイングバイしていくような感覚
「人類がラテン語に真理を見たがる理由、単語の多義性から根源的な人間の認識を掬い取ろうとしているから?」
ラテン語で同じ意味があると、昔の人間はそこに同義性を見出してたのか、という発見がありつつ、流石に無理やりだろと思うこともある。
「井戸端会議って単なるあるあるなのに慣用句にまでなってるの凄い」
井戸端でおばさん会議しがち、が全国で確認されると慣用句に上り詰めるの面白い
「自由の女神の内部構造を担当したのはエッフェル」
ここまで読んでくれた人に持ち帰って欲しい豆知識
こういうの一個出ると関連知識言うだけの時間ある。品川駅は港区。目黒駅は品川駅。
こういうのとか。
「歌詞の変数的な箇所 ex.)『B'z / 恋心』「〇〇に相談しようか でもたぶんひやかされるからやめとこ」『T.M.Revolution / HOT LIMIT』「〇〇的にもオールオッケー!」」
あと土地名とか出てくるとライブハウスの名前に変えられがち
亀有は他にも推すものが多いけど、亀戸が亀以外にないという予想。
「固有名詞を使わずにトークしたら詩人とか哲学者みたいになるんじゃないか。一般名詞によって固有名詞を匂わせる、みたいな安易な面白がり方には行きたくないな」
固有名詞の多義性に甘んじない強さが欲しい。
「アイドルのソシャゲやってる人も性能が強いメンバーに推し変すんのかな」
好きなポケモンを中心にパーティ組むと最後に好きなポケモンが抜けてパーティが完成する、みたいな悲しい話があるけど、アイドルのゲームでもそれあったら悲しいし、自分が推してるアイドルの性能が弱いくても悲しい。でも性能の良いアイドルに推し変とかはやめて欲しいな。2000年代の弱かったカープ応援してるような甲斐甲斐しさを持って欲しい。
「ツートライブってコンビ名カッコ良すぎ」
ニンのせいでカッコつけてるのが透けすぎて評価されてなさそう
「言葉のカテゴリーの越境 本来は異なるふたつの言葉の間に詩的な越境現象が起きている『短歌の友人』p.52」
越境という言葉が研究のテーマになってる。越境現象が起こし得る詩の魔力。
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書き終わった。来年はメモの放出という最終手段を使わずに済むよう、ブログを更新していきたい。