猛者日記

大学生のブログです

2023年のメモ 前編

年明けでまだ課題をする気が起きないので、2023年に書いたメモをまとめがてら、1年間更新を怠っていたでお馴染みブログを更新します。ブログを書こう書こうと一年間、頭の片隅では思い続けていたので、心の中のささくれを取り除く作業と言えるでしょう。この表現、丁寧な生活ロールモデル的な人が書くエッセイに頻発しそうで気に入ってます。心のささくれ。

そうだ。なぜ仕事ではなく課題かと言えば社会人になるのを嫌って修士に進学しているからです。モラトリアム延長戦。修士生活終わったらW杯後の中田ヒデみたいに泣いちゃうかもしれない。社会人になる事実を受け入れられなすぎて。卒業したら鬼塚ちひろの月光を歌い上げたいと思います。I am God`s  Child

・1月

「自殺の名所に宗教施設作るの心が弱ってる人の狩場として効率が良いらしい」

らしいです。富士の樹海とか東尋坊とか。自殺という最後の選択肢すら奪われ悪意のシステムに組み込まれるって、資本主義の最終段階すぎますね。

 

「癒しと革命こそ現在と最も呼応する物語のテーマ」

実際、今年の出来事はこの二つの出来事に収束されてる、と言ったら大袈裟かもですが、大体当てはまるような気もします。問題は、どの出来事も癒しと革命が独立していたことで、この両輪を欠けずに時代を廻すことが20年代の目標のような気がします。そのためにも両輪に目を向けた物語がもっと作られ、民衆に響く社会になってほしい。

 

「攻略ラジオやりたい」

自分が面白がっていることの一つが『攻略』だと気付いた。自分なりの攻略法を作り、他者とシェアしてより攻略の精度をあげるって現代の快楽の本質のような気がしてます。攻略するテーマはゲームから街まで幅広く。ただその反動で反攻略的なムーブ、つまりは無計画・無策・無為がよしとされる社会もすぐ来るはず。

 

「昔のアルバムの曲を全然ライブでやってくれないバンド、昔の曲が好きな身からすると、もう解散している状態に近いかも。夫婦の倦怠期のような。解散して希望がなくなるより良い、とも与えてくれないだけ残酷とも取れる。」

ハマるのが遅かったりするとライブ行ってもインディーズ時代の曲が好きだったのにやってくれないとかある。リリースツアーとかだからそりゃしょうがないんだけど。好きな分、アルバム曲に一番好みが潜んでたりするから余計に演奏されない辛さがある。あんま好きじゃないアルバム曲に限って、ライブ映えするみたいな理由でいつも演奏されるんだよな。

 

バカリズムの脚本、毎回自己紹介とか身の上話と現状説明とかから入るから一瞬で気付ける」

去年の年始にノンレムの窓とブラッシュアップライフを立て続けに見て気付いた。情景描写とか画面演出を信用せず、最短距離を突っ走る感じ、時間制限があって無駄を省く必要がある、お笑い芸人あがりの脚本の書き方だなーと思う。その分、バカリズム脚本ドラマ見た後だと、1話の密度が高いから純脚本家のドラマに物足りなさすら感じちゃう。

 

海原雄山デウス・エクス・マキナの一種」

YouTube美味しんぼ見るたびに、話が停滞しそうな時とかすぐ出てくるから思った。思いつきすぎるので全然間違ってるかもしれない。

 

「昔見てた『変身インタビュアーの憂鬱』ってドラマで最終話に出てくる架空の心理学用語に「受容人格」ってのがある。
民意を無意識に受容して、自身の人格に反映し具現化してしまう症例のことを指してるんだけど、こんなにも現実で用いたい架空の用語ないよってくらい現実に思い当たる節がいくつもある」

最近の世の中見てるとより思いませんか?社会の意見を自己の精神性と錯覚しちゃう人、本当に多い。会社とかバイトでもいますよね。企業に虐げられてる側なのに会社の使命背負っちゃってる人。真面目すぎる、かつ、背負うべきと規定した範囲が自己の器より広くて、正義が溢れてるんだと思います。

 

司馬遼太郎とか駿河城御前試合は小説におけるモキュメンタリー」

モキュメンタリーブームの2023年でした。そろそろシグルイ実写化あると思います。岡田准一vs柳楽優弥とかどうでしょう。藤木も山崎賢人にするなら伊良子は佐藤健とかになるのでしょうか。前者がいいなー。

 

力道山殺害未遂→木村政彦 ジャズ殺害容疑→ウィントン・マルサリス

我ながらうるせーと思うメモ

 

キックバックで米津か轢かれるやつ、本質的にはThis is Americaのパクリだよなーと思ってる。本家の方はインパクトの土台にそれをやる理があるから良いんだけど、米津の方はインパクトの部分=上辺だけをパクってるにすぎないよなと。で、この本質を理解せず上辺の振る舞いのみ飲み込んで、なおかつそれが二次的三次的に称賛されてしまう流れはミーム世代の悪癖だと思ってる」

ミーム世代の悪癖って即物的な快楽に執着しすぎてその背景を探らないことにあると思うんだけど、背景の快楽でしかないウマ娘のヒットって事例もあるんですよね。大半の出来事に使われてる言葉で辟易するけど、これも二極化なのでしょうか。

 

「綺麗事を知性によって体現出来る人が大人だと思ってる」

これは本当にそう。祈りも込みで。綺麗事すら言えない社会に成り果てて辛いです。

 

PUNPEE(@POP YOURS2022)「今日は声出せないけどヒップホップはもっと声なき者のためのもの」」

さらっとこういうこと言えちゃうのがP氏なんですよね。ヒップホップもそれこそ背景を知る快楽で、バトルと楽曲の分断もミーム世代の論議に収束すると思います。

 

「周央サンゴが『人を殺して恋人と逃避行中の車内シチュ歌枠』(まずそれが意味わかんない)をやってたんだけど、その中で"PUFFY / これが私の生きる道"歌いながら「こんなの歌ってたのバレたら刑重くなったりして…照」ってセリフ吐いてたの天才過ぎて最高だった」

本当にやってないと出ないじゃん、って台詞にこそ作品の魔力が宿る。

 

「読書はパルプンテなので読み終わるまで効果は分からないし、効果すらなく徒労に終わる可能性もあるんだけど、読書だけでしか発生しないエフェクトが山程ある。それを楽しむ気持ちさえあれば本はいくらだって読める。
あと、読書すればするほどそれが徒労に終わる可能性は着実に減っていくし、未知のエフェクトがガンガン増えていく。」

即物的に時間を消費しないで済んだ時代の貯金で救われてると感じる瞬間が人生で何度もある。最近は浪費する時間を無理やり作ってる。憧れてる人たちは皆ナチュラルにこれをやれてて凄い。

 

「通常、編年体を通して歴史を学ぶことが論理的かつフォーマルな形式として考えられているけれど、紀伝体を通して歴史を学ぶことで人間を知ると同時に、その時代に起こった出来事の意味についてより深く知れるのではないか。」

歴史映画とか大河ドラマで知ってるとこだけやけに詳しいとかある。暗記が苦手だったのでそういう勉強法しかしてこなかったけど、慶應くらいは入れました。コツはこの方法を信じて疑わないこと。疑って一般的な勉強法を試した瞬間に紀伝体勉強法の魔法は解けてしまいます。

 

「いらない豆知識 目隠しした状態で腕の脈下部分を濡れティッシュで拭かれると、注射されんじゃないかって体に緊張が走る」

日常で分かりやすくパブロフを感じた出来事

 

 

・2月

「「大好きだけのお祭り始まった」みたいな正しくないけど、正しく書くより簡潔で感情もより伝わってくる文章をかけるようになりたい。ただのワードサラダではなく、直感でバイブスを理解させる技量」

『コットンキャンディーえいえいおー』って曲です。

 

「結局、ジャンル映画の混雑両立という観点でMCUがやりたいことはジョジョかやってるんじゃないかと思った。それを言ったらアメコミがもっと前にあるわけですが。ジョジョもアメコミも定期的なリランチがあるしマルチバースもある。分業制であるか否か、というところでジョジョの方は統一された鋭い芸術性がある」

逆に言えばマーベルには作家性が分散しているが故の多様性やリスクヘッジがあるわけで。

 

「「鮭の乱」とか「レナード対ペプシコ事件」とかの奇を衒った広告が狙い以上の影響力を持ってしまい、想定していたものとは全く違う方向で熱狂を生み出してしまう、って類の社会現象好き。広告打ち出した側も一瞬で手がつけられなくなるくらい燃え広がっていく雰囲気とかたまらない。もうここまで暴れ回られると焼け野原になるか、撤回して株価大下げしか未来がなくなる感じのやつ。
「ええじゃないか」とか「ベルリンの壁崩壊」にも近いものがあったのだと思う。ポイントは企図した側が、そのレベルの熱狂を意図してなかった部分にあると思う。意図したアジテーションが想定通りの熱狂を生むことは難しい。客は広告の意図のみに強く敏感で、それに気付くとみんなすぐ冷めてしまうから。」

予想通りに喜んでる客見ても冷めちゃうし。広告に限らないけど、エンタメの正義は本物の熱意にしかない時代なのだと思う。偽の中に本物がないと許せない観衆の時代。

 

穂村弘の歌論集、短歌を読み解く中に筆者の愛とか希望とかロマンチストなところが詰まってて読み始めてすぐ泣いてしまった」

これからはロマンチストの復権がトレンドになると思います

 

「短歌は鍵付きzipファイルに似ていて、同じ温度の思いとか経験を持っている人だけに解凍され、圧縮された情報を読み解くことが出来る」

鍵を持ってない人はファイルをすぐゴミ箱に入れてしまうし、それだけに鍵を持っている人と出会えたときは、魂の次元が上がる感覚に陥る。

 

シャンチーの序盤戦闘シーンもソニックアドベンチャーのステージ1 "シティエスケープ" もサンフランシスコがロケ地。ザ・ロックも同じ。」

魅力的な坂だからゲームのステージにしようって感覚、メッチャ良いよね。

 

「環境ストーリーテリングとしてのビデオゲームのフィールドデザインとテーマパークにおけるエイジング手法の類似性に関する考察」

もっと広く空間芸術という分類でこれは融合していて、現在の研究テーマの一部になってます。

 

ウラジオストクとブラマジストラクは似てる」

そうだったとて

 

マルチバースVTuberっていう同じガワを複数の演者が使うグループ」

これ普通に良くない?ややこしいだけ?

 

「模倣によって軸が定まるということ」

模倣されたものをいくつも並べていくことで、オリジンに潜む本質を読み解くって考えなんだけど、AIの学習法がこのまんまですね。本質が何かという問いにAIが答えてくれることはないのだけれど。

 

「事件の解決とか犯人当てに重きを置くのではなく「落とし所を探す」物語が増えてきたと感じる」

多重解決とかまさに。本当にただの偶然だけどM-1決勝1stで令和ロマンがやってたネタもこのことを言ってると思う。

 

「グノーシアが好きなのでブラッシュアップライフの転生してる人間同士の周回数の擦り合わせをどうしてるのかメチャメチャ気になる。」

a回目のAさんとb回目のBさんがいて、次の世界ではa+1回目の人とb+1回目の人になってるんだけど、a-b回目と0回目の場合とか、a+10がAさんの転生の限界回数として、とか気になってしまう。SFの考証を深く考える必要のある作品とない作品で間違いなく後者なんですけどね。

 

「「理屈っぽい」って揶揄が一番嫌いかもしれない。自分が常に思考を巡らせられない人間で、かつそれを劣っていると認めたくない故に他人を批判して安心する精神性。勘違いしてはいけないのが、コミュニケーションのために歩み寄らず、持論だけを述べようとする人を「理屈っぽい」と批判することがあるけど、それは理屈ではなく、ディスコミュニケーションの成れの果てでしかなく、同一視してはいけない。」

それ理屈っぽいのではなく、思いやりがないだけでしょって思うことがあったので。これ以外で理屈っぽいが使われる場面は、言ってる側が浅慮なだけ。

 

「「伏線回収が好まれるのは私達の人生にも意味があると、読者が希望を受け取れるから」ってやつ誰の言葉だっけ?」

Twitterの名も無き人かも

 

3月

「義務教育を受けて良かった唯一のこと、義務教育は受けなくても良い物だと知れたこと、な気がする」

さすがにニヒリズムに侵されすぎてる。社会にはいらないルールが膨大にある、と義務教育で教わった最も意味あること、みたいな皮肉を書きたかったのだと当時の心境を察します。

 

人狼ゲームって倫理的に考えたら、間違えて市民を処刑した時点で村人陣営の負けになってもおかしくないんだけど、ゲームの体裁を守るために「経費」とか言ってそれが見過ごされてるんですよね。もっと死にナイーブであるべき。システムがそうさせているという点では、スタンフォード監獄実験に近い構造」

夕木春央『方舟』を読んでて思ったこと。この小説、人狼に縁の薄い人からはトロッコ問題と言われがちなんですが、明確に犯人というターゲットが存在する以上、人狼の構造でしかなく、人狼が一般化したことによって見失われた残虐性を大っぴらに、そして皮肉に見せつける小説だと感じました。

 

ボードゲームのフレーバー(もしくはテーマ)とメカニクスの切り分け、他のジャンルにもかなり応用が効く概念だと思ってる」

この後、大阪旅行で中之島美術館の『民藝展』を訪ねて「用と美」という概念を知り、ジャンルは違くても先駆者が行き着く思考は重なるって事実に感動しました。研究でかなり重宝してる指標です。

 

宮本浩次 (ひろじ)加藤浩次 (こうじ) 相葉雅紀 (まさき)長谷川雅紀(まさのり」

似た事例をたくさん集めて神経衰弱やりたいです。

 

「「なーほーね」から考える、ら抜き言葉と-ar抜き言葉」

ら抜き言葉と言われるものは「来られる-ら=来れる」ではなく「korareru - ar = kor eru」なんだそうです。「なーほーね」はより分かりやすい事例で「なるほどね」に「ら」はないけど、arはあるので「naruhodone - ar = n uhodone」になり2つのoに挟まれたdも連続する母音による打ち消しから「nuhodone - d = nuhoone」になる。「ぬーほーね」ではなく、「なーほーね」になるのはaという母音が強く、uを乗っ取りやすいかららしいです。そこら辺は川原教授の音韻論にまつわる書籍を読んでください。

 

「現在の社会を定義しなければ研究を進めることは出来ないけど、現在の社会を定義するには研究をしなければならない」

アキレスと亀

 

2chとかもそうなんだけど、「どうせここが終わっても第2第3のフォロワーが現れる」的な言説は完全に嘘でしかなくて、本当にダメな物はダメだからって理由でちゃんと終わらせる前列を作らなきゃ、際限なく増え続けちゃうし、前列があれば逆説的にダメなものって認知されるから、しっかりと次第に減っていくんだよ」

フォロワーは先駆者の末路もちゃんと学びますからね。より巧妙になるとしても、対抗する我々が今度は悪を倒した経験値を支えにできる。

 

「国道沿いつまらなすぎる問題」

国道ウォーキングを誰もやらない理由

 

「ランクマッチ環境の恒常性維持におけるメタ循環性についての考察」

これだけで1ブログ書けるくらいあるので放置。

 

「イギリス 緊急通報 999 緊急でない通報 101」

こういうゆとりがシステム化されてるのかなり良い

 

「2000年代のマス文化って基本的に美的感覚がキャバクラと一緒」

じゃないですか?ブルーを背景にダイヤ風のキラキラした装飾みたいなやつ

 

サンタナ→メキシコに吹く熱風 ワムウ→スイスで風になった 山田恵一→リバプールの風になった」

我ながらうるせーと思うメモ2

 

「料理の四面楚歌」

我ながらうるせーと思うメモ3

 

渡る世間は鬼ばかりの主題歌に「僕たちが持てる輝き抱きしめながら〜」勇気100%の歌詞を載せて歌える」

そうだったとて2

 

「スキーの事故に法律はない」

書き方が良くないけど専門の法律がないらしい。スキーが特別そうなのかスポーツ全般がそうなのか。

 

「学校の引力に阻まれて日没まで帰宅出来ず放課後を過ごしてしまった生徒たちが織りなすジュブナイルホラーを毎年観たいだけなんだ」

もちろん『学校の怪談』のことです。竹中夏海先生が出てる2が一番好き。

 

「卓球とテクノは相性がいい」

電気グルーヴのことを想定しているようで、たしか似たようなことを海外のゲームクリエイターが言ってたんですよね。卓球ゲームにテクノを採用した理由みたいな文脈で。球の一定のリズムとテクノのビートのことだと思う。石野卓球本人はどう思ってるのか知らないけど。

 

Appleが独立国家になったらMacBookみたいな国旗になる」

真っ白なMacBookってないですよね。シルバーだとかなりApple Mac 1984の世界観。

 

「プロレスとハロプロの類似性」

ハロプロというかアイドル全般。ももクロの先見性って、これからもまだまだ思い知らされるんでしょうね。

 

・4月

川本真琴は「きゅうちびると唇 目と目と手と手」って歌ってる」

そうだとて3

 

三枝夕夏 IN dbは「君と約束した優しいあの場所まで」より「君の瞳の中はミステリー」の方が圧倒的にコナン主題歌感ある」

アルバムの曲目見るとそう思うし、聴いた上でも別に後者で良いなと思う。

 

「giftには贈り物(英語)の他に毒(ドイツ語)の意味があって、オランダ語では両方の意味を持つ、って話はポトラッチ的にかなり腑に落ちる」

ポトラッチって色んなところで出てくるテーマで、出てくるたびに興奮します。水曜日のダウンタウンでやってた「1000万円を受け取ってもらうの逆に難しい説」も完全にポトラッチの検証

 

「日常のモヤモヤとか記憶からすらも捨て去られ得る感情がフィクションやエンタメの中で"ある"と示されることにまず救いがある。なぜならば捨て去られる感情は、まだ名前が付いてない故に、共感がされ辛いから、捨て去られてしまうわけで、フィクションがその感情を掬い上げる行為には、名前をつけることと共感することの2つが同時に達成されているから。
問題の解決、というところに救いを設置する人は多いのだけれど、まず問題の顕在化、というところにこそ、本当の救いの一歩目がある。」

RGのあるあるを俵万智が「道端の小石に名前を付けて回る行為」と評してましたね

 

「↑に照らし合わせると、スタンダップコメディが日本で受容されないのって、構造でも方法でもなく、取り上げるテーマを問題として抱える人の少なさに尽きると思う。
結局、抱えてないテーマを問題として提示されることの煩わしさが、笑いのノイズになる。
お笑いの言葉で話すなら、社会とか日常生活で目にする万物がフリであり、フリとして機能してなかったものを機能させるのが、↑の感情を掬い上げる行為(=お笑いの言葉で言う「発明」とか「発見」)で、そもそもフリがないもの、社会や日常生活で提示されてないものを取り上げるスタンダップコメディはノイズになる。ということに過ぎない。
なので結局、コメディアンに問題意識を寄せるのは間違い(寄せたくなる気持ちは分かるけど)で、そもそもシステムとか集団意識の問題なのに、末端の現場に文句を言ってるような状態と損傷ないのではないかと思う。」

問題として抱える人が少ないから、無視していい問題なのではなく、むしろ問題視され笑いの対象になるよう民衆がスタンダップコメディを受容できる社会に変化しなきゃいけない。芸人は社会の受容に合わせてネタを供給するだけなので。供給側に受容を作らせるのは主客が転倒している批判にすぎない。

 

「ベータよりVHSが選ばれたとことかが日本人の良くなさだと思う」

大きな動きとして論理より感情が優先されるところ

 

きまぐれオレンジロードの主人公はストレートネック気味」

ちゃんと絵をみると怖い

 

「外馬を考えよう」

賭ける以上に考えるのが楽しい行為 外馬

 

「ウソ雑学 四つ葉のクローバーは人間が摘むから数が少ない」

そんな気もしなくもなくもない

 

「道が狭い例えをヴィレバンにするかカルディにするかに人が出る」

聴衆の客層によって変えている人もいるかも。ジャンプ編集部か、という一部のみに伝わる例えもある。

 

椎名林檎加藤茶の系譜」

下の名前が飲食物の系譜。山崎ナオコーラと森本サイダーはもっと近い。

 

「近代のドラム問題(tofubeats)」

サンプリングしたドラム音が、それも一度サンプリングされたものという問題。引用の孫引きみたいな。ただ研究とは違うので、音楽でそれをダメとする規範は何に基づくのか、という話も加えてしていた。詳しくはtofubeatsハードオフビーツのどっかであった。(比較的最近のシリーズなはず…)

 

「drenchって単語はびしょ濡れって意味で、元はdrencanって単語で飲ませるの意味なんだけど、「じゃあ、デキャンタも近い語源なのかな」「いやそれはただのfrench」とか言ってたのが楽しかった」

トリリンガルの人の言葉遊びって神々の戯(あじゃら)に聞こえるのかも

 

「凪の心地良さへの依存と、生存戦略としての自己変革の流動性のせめぎ合い。凪は穏やかだけど自己変革はストレスが溜まる。ただ後者が必要なのも目に見えて分かる」

社会生物として生きるか、人間としての個に固執するか。みんなが抱えるアイデンティティの問題

 

一年分書こうとしたら4ヶ月分でまさかの8000文字越えしてビックリしました。

中編 5月〜8月

後編 9月〜12月

をまとめる予定です。今年はブログ書きたい。でも確定で忙しいんだよな…。