2024のメモ・後編
前編・中編の続き。といいつつ連続性は一切ないです。
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「何故かお笑い用語っぽくなってる言葉「抑え直し」」
カニとチャーハンもよく聞く気がする。カニチャーハンってお笑いすぎる食べ物かも。
「「起動」って言葉、機械にしか使わないけどいつ生まれた言葉なんだろ」
機械にしか使わない言葉って意外と多いけどいつ生まれてるんだろ。明治維新以降に生まれた漢字って全部を夏目漱石が作ってそうですよね。翻訳して日本語には相当する言葉がなかったので、みたいな理由で。
「選択肢が無限か有限かを分けるポイントって、初めから無限個の選択肢がある、ということではなく、有限個の選択肢に加えて+αの選択肢を自由に作り出す余地があるか否か、ではないのか?」
要は人間のクリエイティビリティが反映されうるか否か。そこにこそ無限択=可能性が残されている、ということで初めから可能性がとじられている場合は無限ではないのではないか。
「形は同じだけど意味が変わっていく。同型異義?的な。構造とモチーフのどちらに比重が置かれるか。構造とモチーフが有機的に組み合い一つのものとなっているか?」
例えば水戸黄門とか必殺仕事人みたいな話は同じ構造を毎週リフレインさせているけど、モチーフの選択だったり、視点のずらし方によっては、いつもと同じ型をしていること全てが効果的に物語を輝かせることも出来るはず。例えば冒頭に1シーンだけ、いつも成敗されるだけの悪人側に視点が映ったら。退っ引きならない事情を抱えて、悪事に走る悪人。視聴者のみがそれを知っている状態で、何も知らずいつも通り悪人のもとに忍び寄る黄門一行の正義の鉄槌。勧善懲悪といういつも通りの構造が、冒頭の置き石1つでオセロのように全て裏返っていく。そのまま印籠を見せ、何も知らずいつも通り立ち去る黄門一行。一度、敗北の苦い味を覚えた視聴者にとっては、その後の通常放送すら苦く思えるのではないか。
「架空コンビ名 「ヘビと図書室」」
『ヒストリエ』の冒頭。この物語は「ヘビ」で始まるのか、いや違う。そんな主人公の回想を経て4巻でようやく辿り着く「図書室」 言うまでなく、この物語においてヘビはアレキサンドロス、図書室はエウメネスのメタファーであり、同時に知力と暴力のメタファーでもある。歴史漫画が悉く暴力の側面によって哲学を語る中で、知力をもって歴史を紡ぎ哲学を語ろうとする人間讃歌の宣誓が、ヘビと図書室。
「フョードル ロシア宇宙主義 「重力=死」の克服 窪塚洋介 アイキャンフライ」
窪塚洋介はロシア宇宙主義に傾倒して死を克服しようとあのような行動を取ったとする仮説。
「楽しみは最後に取っておく派かつ死は救済、と思ってるから死んでないだけで、死ぬタイミングくらいは我がの好きにさせーよ、とは思うことが多い。死にたくない人が死に追いやられるのを忌避するという意味でも。
だから三島みたく選択して満足した自死はそれで良いじゃんと思う。ただ罪を清算しない逃げの死は赦したくない気持ちがある。罪=死だけでなく罪=不死のモチーフも多いのはそういう意味かも。罪の清算のために永遠の労働。でもそれって現世でも来世でも途方もない償いを課せられる、という点では一緒なのか。」
ヴァンパイアの眷属になり不死を課せられる、という罪。ヴァンパイアが何かのモチーフでなきゃ納得いかない設定ではある。共産主義者の作者がヴァンパイアを資本主義のメタファーにして描くとか。
「こと漫画原作における西尾維新の特徴って一言で言えば「過剰」だと思う。漫画的ハッタリ故の過剰さじゃなかて、キャラをとにかく鋭角にするための過剰さ。
この過剰さは、ディスガイアの桁がインフレしまくる感覚に似てると思ってて、過剰に数字を盛ると受ける感覚はかなりネット文化と相性良い。ただ人数が増えすぎると当然胃もたれする。それ故にワールドトリガーのインフレさせないという静の読み応えが少年漫画の読者に受けてるのではないかなと。あと単純に少年漫画もSNSの普及で読者の読解力がかなり上がってるので、原作の機微とか差異は繊細なほどちょうど良いのではないかと思う。少年漫画に繊細さばかりを求める時代は健全ではない、というマシリトの意見も大いに分かるところなのですが。」
子供の触れるエンタメは加速度的に早く、いまの若者が触れる最先端の文化と重なり始めていて、それをなかなか認識できずにいる大人は多い。と同時に流行と子供の情操が間に合ってなさすぎると感じることも多いので、極端に賛成反対は得策ではない、といういつものスタンス。でもいまって子供用アニメが全然ないんですよね。その需要をパウパトロールが一手に担っているという噂を耳にしました。
「リバーベッド、キツすぎるのでデウス・エクス・マキナ的にBAD HOPに登場してもらって、全てを解決して欲しい」
BAD HOPが登場してむちゃくちゃにしてくれても良いと思ってしまうくらい、川崎民にとっては身に覚えがありすぎてキツい漫画。みんなの知り合いにも一人はいる勾君。もちろんBAD HOPが登場することはなく、完結しましたが、厳しい戦いの予感とともに、微かに未来の希望が見えるラストで個人的には好みでした。これだけ現実におきたセンセーショナルな事件を扱いつつラストだけファンタジーなんて興醒めですもんね。
「頭痛が痛い、って身体の危険ゆえに発生したエラーメッセージで、それでいながらたとえ情報欠けがあったとしても、確実にヘルプのメッセージを届けるぞ、という気概があるわけだから、それを聞いて意味が重複してるとか、そんなどうでも良いようなことを気にする連中は、つまらないし最悪な連中だと思ってる」
情報欠けというのは、"頭痛"or"痛い"のどちらかが聞こえない場合を想定してるんですけど、逆に言えばどちらかさえ相手に届けば、異変を伝えられるという決死のメッセージなわけですよ。それを日本語がおかしいとかいうの、文法以前に学ぶことがあるんじゃないか、という屁理屈。
「ハリウッドのアクション映画シリーズの最新作の中盤、急に出てくるメチャメチャ体術の強い敵」
『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』のトイレに出てくる人とか、マルコ・サロールさんとかスコット・アドキンスが演じる諸々のキャラ。
「世界一売れるセブンイレブンはTBSの中の店舗」
ここまで読んでくれた人に持ち帰って欲しい豆知識
「ボードゲームが好きな理由、メカニクスとフレーバーの邂逅が美しいところで、特に3Kみたいなレジェンドのアーティストはそこが卓越していて、遊び勝手とモチーフが美しく噛み合ってるときは感動すらある。でも、これって結局はデザインにおける「用と美」と同じかもしれない。
キャラゲーがつまらなくなりやすいのは、原作があるゆえに美が先行した縛りのせいで、キャラのないゲームが味気ないのは用が先行しすぎたゆえかもしれない。
ポケモン(というか現行のオンラインゲームほぼ全て)はガチ勢になればなるほど、用が先行してしまう構造なんだけど、アナログゲームは突き詰めるほど、モチーフの真髄であり、人間がジレンマを抱えるシチュエーション=モチーフの再現になっていく、つまり用を突き詰めるほど美も突き詰まっていく気持ちよさ。
あと忘れがちなのは、究極まで突き詰めた「用」は時として「美」に昇華しうるということ。」
究極まで突き詰めた「用」の一例としてテトリスが挙げられます。
「もやしもん読んでて思ったけど、アミラーゼが人より大量に出るマツコ・デラックスって質の高い口噛み酒作れるんじゃないか」
口噛み酒の初見、あなたはどこから?
「ブランドの旗艦店ばっかみたいな街って、何でも揃うから田舎者は来るかもしれないけど、別に面白味があるわけじゃないから都会の若者は行かなくなりますよね。大人も知ってた街と変わっちゃうから足が遠のいたり、そもそも騒がしい街好まなかったりする。そうして結局衰退こそしないけど、文化のないつまらない街としてゾンビ化していく。」
渋谷のことですが。ミヤシタパークって渋谷の墓標なのかもな。ディベロッパーがアイロンかけた街(a.k.a.フリクリ)は文化的に死んでいく。
「2700はお笑いのルールを守る部分と独創性の部分のバランスが完璧。吉本のコント師(最近は少し潮流変わってるけど)ベタを追求し続ける間にお笑いの核みたいなところに触れがち。2700以外もバンビーノ、モンエン、コロチキ、天竺鼠、コントの時のかまいたい、隣人あたりのKOC決勝ネタはベタの追求から生まれてる感覚ある」
かまいたちって漫才師とかコント師じゃなくて、総合芸人って感じがする。かまいたち以外だとマヂカルラブリーとかもそう。お笑い版のMMAみたいな。総合芸人ってトレンドのような気がするけど、色気みたいなのはない。お笑いにおける色気の説明ムズイ。漫才師には漫才師の、コント師にはコント師の色気があって、コント師のやる漫才にはコント師特有の色気が出てる。逆も然り。総合芸人はコントも漫才もそれぞれの文脈じゃなくて、総合お笑いの文脈で鍛えてるから色気がない、って考察。ただかまいたちより下の世代の総合芸人は漫才とコントそれぞれの文脈の色気を備えたヤバいのもいる。
「マンガで描かれている男の娘、いまや禁忌や耽美さが失われて、ただのフェチズムに成り下がったとすら思ってるんだけど、これって社会的な容認や現実社会への出現が帰って秘匿性を失わせた結果なのかな」
存在が可視化されたことで神秘性は失われるって考えると、パンダが空想上の生き物じゃなくなった瞬間も似たようなことがあったんじゃないか。
「座王×鬼レンチャン観たいな
回る人間は西田さん固定で、それぞれの椅子に座り続けてる芸人をただただ倒して鬼レンチャン達成狙うっていう。
ギャグの怪奇 大喜利の堂前、R藤本 モノマネのフルポン村上、キンタロー。 1分トークのチャンス大城 メンチ平子 みたいにそれぞれ強い人と戦う」
座王って構造的に総合力のある人間は勝てるけどスペシャリストは生き残るのがかなり難しいので、特番として一人一殺感あるバージョンも見てみたいんだよな。大喜利の二人とかセルライトスパ大須賀、たんぽぽ川村、アジアン馬場園あたりの座王経験者が挑戦者になってるのもみたい。逆に10連目で西田さん出てきたら泣くけど。
「森薫、実は漫画読みまくってるらしいんだけど、漫画読みまくってる人の描く漫画じゃなさすぎて面白いな。
でもたしかに一見すると藝大出身でほとんど漫画読まずにセンスだけで投稿始めた人の漫画としか思えないんだけど、読みやすさとか導線の引き方は、漫画知り尽くした人のそれ。」
漫画と違う文脈から来た天才に見えるほど、漫画を読み尽くした秀才って一番強いかも
「伊集院のばらえてぃーのだるまさんが動いたら…の回、大ネタが嘘喰いのマキャベリカードと一緒」
どっちかだけ見てたらネタバレで申し訳ないです。でも片方好きならもう片方も絶対に好きなので見てください。
・11月
「オスティナートの中で異化作用を感じるのがミニマル・ミュージックの思想」
繰り返しているようで少しづつ進行がある気持ちよさ、って近年失われがち
実は時間を浪費する活動がいまの時代一番贅沢なのかも
「占星術のダンス」
〇〇のダンスって書けばオシャレなタイトルとかグループ名になる気がしてます
ネーミングセンス皆無なので
「〇〇とても楽しかった。それ以外のことはちょっとだけ楽しい」
何かを褒めときに使えそうな修辞
「いしがまやは石ちゃんのまいうーサインをコピーして使い回してる」
としか考えられないくらいどこの店舗にもサインが書かれてるんだけど、本当に石ちゃんが全部書いていると考えたらその方が怖くないか。秋元康だってゴーストライターじゃなくて本当に本人が書いてると思う方が嫌だから、みんなゴーストライター信じてる。
「「小説に出てくる学者なり大学教授なりは、授業や講義をしないし、その内容が読者に知らされることはない。」/『新文学入門 T・イーグルトン『文学とは何か』を読む』大橋洋一」
なるほどと思った文言。チェーホフの銃みたいな。
「東横インを使って『神の灯火』のトリックやれそう」
詐欺のコツはターゲットが思う100倍の規模でやること
「キリストの綴りは最後にt(十字架)」
海外小説のジョークにありそうじゃない?
「ドラゴンボールから続くバトル漫画のインフレの系譜に、話が進むほど弱くなる、まさかのデフレの形でアンチテーゼを示したどろろの作者が手塚治虫なのいい加減にして欲しくない?いくらなんでもオーパーツがすぎる ← ゲームだとリバースローグライクというジャンルらしい」
矢印前が2020年のメモ。3年越しに関連する知識が拾えたりするのがメモの良さ。FC版パルテナの翼は序盤が異常に難しくて、後半行くほど簡単になる変な構造。
「Nasのパンチラインは「睡眠は死の従兄弟」だけど、タナトスとヒュプノスは従兄弟じゃなくて兄弟」
水銀(Hg)はレントゲニウム(Rg)の相方、っていうのも思いついた。
「ロシアフォルマリズムにおける自動化した記号」
研究用のメモ。ミニマルミュージックの話に通じる。
「街の廃れを感じるのって、人の少なさとかボロくなった建物より、手入れされてない花壇とか街路樹なんじゃないか」
お台場を見てそう思った。そこまでビルの廃れは感じないんだけど、どう見ても人通りがなく生えっぱなしの街路樹とか何も生えてない花壇。お台場や石原どもが夢の跡。
「物語を多く読んできた人間が一番恐怖するの、どれだけ読み進めてもその物語のテーマとゴールが見えてこない時な気がしてきた。それでいながら物語に推進力が伴われてると、もう手も付けられないというか、読み進めない気が済まなくなる。(もしくは低評価を下して自分と関係のないものとして遠ざけるとか)」
物語の目的が見えないのメッチャ怖いんだよな。これ体験した人しか分からないような気がするんだけど、どこが目的か不明の小説って異常な不安を感じるんですよね。目的不明だと読んでて疲れるんだけど、本当に上手い小説家ってそれでいて読ませてくるのがすごい。
「宗教は前の世界の憲法だった。」
憲法の後の世界はAIがルールになるのか?
「歴史上のグーテンベルクには、活版印刷のヨハネス・グーテンベルクとグーテンベルク不連続面のベノー・グーテンベルグがいる」
これが頭の中で混ざってる時期があったけど時代が違いすぎる。
・12月
「コロリころげた木の根っこはプロバビリティの犯罪」
乱歩も扱ってるけど当時の作家が頭捻って生み出した完全犯罪の結論の一つが一致するの面白い。
「注意散漫、というか興味がすぐ寄り道しちゃうので、なるべく自然かつ小さな興味の円環構造を辿って元の作業に回帰するよう心掛けてる」
興味の引力を通じてスイングバイしていくような感覚
「人類がラテン語に真理を見たがる理由、単語の多義性から根源的な人間の認識を掬い取ろうとしているから?」
ラテン語で同じ意味があると、昔の人間はそこに同義性を見出してたのか、という発見がありつつ、流石に無理やりだろと思うこともある。
「井戸端会議って単なるあるあるなのに慣用句にまでなってるの凄い」
井戸端でおばさん会議しがち、が全国で確認されると慣用句に上り詰めるの面白い
「自由の女神の内部構造を担当したのはエッフェル」
ここまで読んでくれた人に持ち帰って欲しい豆知識
こういうの一個出ると関連知識言うだけの時間ある。品川駅は港区。目黒駅は品川駅。
こういうのとか。
「歌詞の変数的な箇所 ex.)『B'z / 恋心』「〇〇に相談しようか でもたぶんひやかされるからやめとこ」『T.M.Revolution / HOT LIMIT』「〇〇的にもオールオッケー!」」
あと土地名とか出てくるとライブハウスの名前に変えられがち
亀有は他にも推すものが多いけど、亀戸が亀以外にないという予想。
「固有名詞を使わずにトークしたら詩人とか哲学者みたいになるんじゃないか。一般名詞によって固有名詞を匂わせる、みたいな安易な面白がり方には行きたくないな」
固有名詞の多義性に甘んじない強さが欲しい。
「アイドルのソシャゲやってる人も性能が強いメンバーに推し変すんのかな」
好きなポケモンを中心にパーティ組むと最後に好きなポケモンが抜けてパーティが完成する、みたいな悲しい話があるけど、アイドルのゲームでもそれあったら悲しいし、自分が推してるアイドルの性能が弱いくても悲しい。でも性能の良いアイドルに推し変とかはやめて欲しいな。2000年代の弱かったカープ応援してるような甲斐甲斐しさを持って欲しい。
「ツートライブってコンビ名カッコ良すぎ」
ニンのせいでカッコつけてるのが透けすぎて評価されてなさそう
「言葉のカテゴリーの越境 本来は異なるふたつの言葉の間に詩的な越境現象が起きている『短歌の友人』p.52」
越境という言葉が研究のテーマになってる。越境現象が起こし得る詩の魔力。
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書き終わった。来年はメモの放出という最終手段を使わずに済むよう、ブログを更新していきたい。
2023のメモ・中編
前編の続き
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・5月
「バイラルメディアの対義語はバイナルメディアが良いと思う。ハイラルメディアはシーカーストーン。」
おそらくティアキンに勤んでた時期のメモ。
「GotG Vol.3実はピーターとラクーンが二人とも地球出身と分かるのが良かった。地球出身なのに地球から拉致された2人が親友なんですよ…」
一般的な感想であんま言及されてなかったのが気になったけど合ってるよね?
「「底(floor)」とはデザイン用語で、カードの性能のうち最も弱い部分を指す。」
応用が効きそうな専門用語を見つけるとテンション上がります
「読書地図という概念が好きかもしれない。そうしたら積読もGoogle Mapのピン刺しみたいなもので、シチュエーションとかタイミングが合致した時に思い出して読むみたいな。だから積読を読まないものとして捨てる・売る行為は自分の可能性を捨てる行為なんですよね。積読は可能性が残っていることの幸福。」
Googleマップでピン挿しておいてたまたま近くに行く用事があったとき、ついでにピン挿ししたところにも寄るみたいなの、格ゲーでコンボが決まった感じの快感があります。
「キャラクター色のないアルファベットをタイトルに据える」
『medium 霊媒探偵城塚翡翠』の作者の人がインタビューで言ってたことなんですけど、キャラクター色があるかないかの見極めってメチャ大事だなと無意識に思ってたことが言語化されてたのでメモしました。敢えてキャラクター色のある一般名詞を据えて、怪しさとか胡散臭さ、リアリティを醸すって手段もある。
「オタクが好きな作品って以前はマニアックなものがそう呼称されていたけれど、最近は分かりやすく展開が読みやすいストーリー(安定感が保証されてる)がそう呼称されてる」
オタクが蔑称でなくなると同時に、不遇な扱いをされていた元のオタクはオタクの範疇から追い出され、いまも不遇の扱いを受けている。新規参入者によって寒い時期を支えたファンは居心地悪くなる。でも、その気持ちを吐露することは許されない。なぜなら新規参入者の方がマイノリティなので。みたなクラスタのあれ、あと何回味わえば良いのでしょうか。株じゃないので先駆者が救われることなんて本当にない。
「We don't wanna be left behind. All we wanna do is just blow your mind.」
ヒップホップでそこそこ耳にするフレーズ。『Koji1200 - Blow Ya Mind』の冒頭のあれ
元ネタは『Crash Crew - High Power Rap』 ちなみにこの楽曲のトラックはスチャダラやGrandmaster Flashがサンプリングしてるでもお馴染み『Freedom - Get Up And Dance』 80年代のみんなで同じ楽曲をサンプリングする感じ、いまの感覚だと逆に新しいように思います。
「日常生活にバグ人間が潜んでいる設定。バグっぽい動きをしてる人間を見つけたらスマホを翳すとバグかどうか分かる。I'm on Observation Dutyみたいな?」
陰謀論の始まりみたいなメモ。いつから陰謀論が危険なものになったのか。トランプ政権下、というか出馬の時点からすでにそんな雰囲気だったような。2023年、スカイゲームに並ぶヒットを起こした『第8出口』は『I'm on Observation Duty』から着想を得たらしいです。
「『野猿 - Be cool!』には反出生主義の歌詞がある』
例えば俺たち生まれなければ生きてる意味など迷わなかった、って歌詞を秋元康が書いてるの何か嫌ですね。80年代不良思想が10年代後半には文学のテーマになってると捉えるとかなり面白いかも。層ごとの問題意識が変わったのか、それとも層ごと入れ替わったのか。
「昼〇〇食ったから違うのに論」
線引きの問題。「カレー食ったからカレーは嫌かな」はわかるけど「麺類食ったから〜」は麺類てって思っちゃう。でもそれだと昼・スパイスカレーで夜・欧風カレーもありにされそう。ならないか。
「民族の移住先において最後まで消えずに残る文化は食文化」
意外と民族の蹂躙や漂白は帝国が思うほど簡単じゃないし、人間はしぶとい。
・6月
「ドラマ以外のエンタメ媒体、負け試合できない問題」
単館系の映画とかジャンルとしてそれが前提のホラーは例外として、基本は負け試合が出来ないが故の作劇が多すぎる。ドラマも最終話では勝つわけだし。ロッキー1作目はあんなに良い塩梅なのに、結局2作目はアポロに勝ってると考えると、民衆の勝ちに対する欲望はかなり強いのかも。でも、だからこそロッキー3のラストが最高なんだよな。でも4も最高だしさ。
「自分の知り合いが多重人格障害で、しかもコミュニケーションを取ってた人格が主人格じゃない、って言われた。たとえ本人にとって主人格じゃなかったとして、周りの人間にとっては唯一無二の人なのに…。」
主とか副とか誰が決めるのか。障害とか病気とかバグとかマジョリティとか正論とか。そんなことをもやもやしてる間に、半年経ってて、まだ声の掛け方がわからない。もう知らない人になってるかもしれないと思うと怖くて。
「何を問われているか分からないけど確実に何かが謎というミステリーの形」
何かが変だけど何が変なのか。探偵は事件が起きてから解決に向かうけどそれは本当は遅すぎる。本当なら何かが変と気づいた段階で未然に防げたのではないか。ハウでもフーでもワイでもなく、ワットを問われるのは我々の生活そのもののような気もするけど、誰もが探偵になれずにいるのではないか。
「ドルビーシネマ 後ろ目の席が正解」
後ろ目の席取らないとスクリーンが高すぎて、真ん中の方でもかなり見上げる形になるんですよね。音響設備の関係でそうなってるのかな。チケット画面って見下ろし図で、スクリーンの高低感がわかりにくいのかなり罠が潜んでるんですよね。
「&はetの合字」
ラテン語の接続詞のetらしいです。ここまで読んだ人用の豆知識。
・7月
「桜木町の動く歩道はアナウンスの電波がBluetoothイヤホンに混線してくる」
こういう現地でしか体験できないストリートの生の情報を知れた時かなり嬉しい。この方法でホラー映画の宣伝とかやったら効果的だと思うんだけど、効果的すぎて問題になりそうだな。
「19世紀ロシア思想家フョードロフの「重力の克服=死の克服」という思想が後世の思想や物語に強い影響を与えている」
『ジブリの教科書13』でハウルについて本田晃子が言及したところが面白くてメモしたやつ。ジブリからはラピュタやハウルについて連想されるけど、ヤマトとかガンダムもそう。ピクサーならカール爺さんとかまさに。これを読んですぐ発売された『革命と住宅』も当然のように面白い。
「ディズニーシーにインスマスの影を見る」
昔クトゥルフ神話を読みたての頃、ディズニーシーで『Lovecraft bonded werehouse』という建物を見つけて、ディズニーとクトゥルフの関係性ってあるのか?ってところから家帰ってネットで調べたらザクザク出てきた思い出。ディズニープラスでディズニーパークのドキュメントを見ていたら、ディズニーシーは開発当時からイマジニア(ディズニーで働くクリエイターをこう呼称する)が好き勝手やらせてもらえたパークらしく、細部までこだわられた美しさって、高バジェット×クリエイターの熱量でしか再現できないのだなと感じました。
「ファミレスでご飯食べてたら、隣の外国人グループがグルテンフリーかどうかを気にしてて、これ映画で観たやつ…と思った」
ベネッセよりハリウッドで予習したことの方がどうでも良い細部まで頭に残りますね。
「新しい表現って、手法だけ思いついた場合、その表現以外の箇所が全てその表現に隷属する形になってしまいがちなんだけど、どうにもこうにも作品が行き詰まった時に全てを一発で解決するアイデアとして、新しい手法が生まれた時に、真の意味で画期的な表現になる感じがある。これはその新しい表現が作品全体に隷属する形になっていて、前者の歪な関係よりも正しい関係性に落ち着けているからだと思う。」
これ割とそんなことないかもって思い出していて、例えばソニーが新しいハードを発売するとそのハードで出来ることを詰めたサンプルゲームみたいなのを同梱してて、えてしてそれ以上に可能な表現を使い切ったソフトは発売されなかったりする。IMAXとか4DXのデモムービーも同じ。結局はクリエイターが手法を隷属させうるテーマを見つけられるか否かの戦いでしかないのだと思う。おそらく、手法先行だとテーマを見つけられなくても日の目を浴びやすい、という生存バイアス。
「異界から帰還する少年、異界に第二の人生を求める老人m異界で余生を過ごそうとしたら無理矢理現世に引き戻された老人 それぞれ、君たちはどう生きるか、新ジュマンジ2、インディー・ジョーンズ5、のこと」
映画の原体験がインディー・ジョーンズ3部作だからこそいうんですけど、普通に新作最悪だったので、ディズニーのIP管理の下手さにはかなり憤ってます。
「渋谷のスクランブル交差点にある みずほ銀行はピン札の出るATMがある」
ここまで読んでくれた人に持ち帰って欲しい豆知識
「ヨコオタロウ「『既存の機能をある体裁でまとめることに価値を生み出す」」
さっきの手法と表現の話にも通ずるけど、新しい手法なんてそうはなくて、大概のクリエイトってこの言葉に尽きるな、と思った。
「エスニック料理を日本風にアレンジをする料理版魔改造の夜とか考えたけど文化的にあんま良くないのかな」
上で書いた食文化が最後まで残るって話とも通ずるようだし、フュージョン料理としてDNAを残していくと考えれば、良い企画なようにも思う。食版魔改造の夜、というアイデアは使い道ありそう。
「伝説のフィッシャーマンってトイレットペッパーマンと同じリズムですよね、って言ったらどっちも誰にも伝わらなかった」
梶木漁太のエースカードと中居正広のソロ曲を認知している人の重なるベン図、真ん中自分だけなのか
・8月
「賞レースの決勝行ったり、大きな出来事があったりするたびに個人名を進化させる芸人いても良いな」
イナダで苗字と見せかけて、ワラサ→ブリになる出世魚芸人。ブリにするタイミング難しいか。
「ポケモンスリープ、自己の健康状態を手持ちポケモンに反映させてるって聞いたんだけど、ポケモンという偶像に反射させてプレイヤーに内省させるの箱庭療法っぽい」
プレイヤーのメンタルケアをテーマにしたゲームってもっとあってもいいな。眠り、という行動が身体と精神のちょうど間にあって、身体性をテーマにしたゲームは多いけど、メンタリティに踏み込むゲームってあるのかな。
「キメラアント編のシナリオ、SIRENなのかもしれない」
群像劇の中で思いも寄らない人の思いも寄らない行動が規定されたはずの大きな物語の瓦解につながるところ。(凍らせたタオル=ウェルフィンの「…コムギ?」)
「23区の面積小さい場所を選べば区一周ウォークは意外とできる」
比較的大きな区にばかり馴染みがあったから意外な発見があった。皇居ランも10周とかしたら千代田区1周分ぐらいになりそう。大田区・港区・江東区あたりは区の外周をどこまでとするかでかなり変わりそう。レインボーブリッジって港区の持ち物なんですよね。お台場は面積的にほとんど江東区の持ち物なのに。
「( ※パラノマサイトのネタバレ含む)
メタネタでよくある、最後になって「じつはプレイヤーとして物語に介入していた」と明かすようなものではなく、「プレイヤーはゲームの外から介入していると思わせておいて、じつはあなたは過去の陰陽師の霊という登場人物のひとりをロールプレイしていました」というところが大仕掛けです。」
プレイヤーの視点とキャラクターの視点をピッタリ一致させることで、それが引き剥がれた瞬間身震いする感じ、叙述トリックとして新しいなと思った。『愚者のエンドロール』は後天的にこの構造を思いつくって話なんだよな。それを学祭の映画という発想につなげて青春ミステリに着地してるの何周した上でもやっぱりやばいね。
「同音逆義語シリーズ 好天・荒天 市立・私立 給気口・吸気口 配水管・排水管」
遍在・偏在とか浮動票・不動票とかも。「好天・荒天」が一番純度高そうで好み。
密猟・密漁とかも逆義ってわけじゃないけど好み。
「民藝 デザインにおいて「人とモノと環境の良い関係」を探り具体化する」
世の中の工芸品は、伝統工芸・民藝・美術工芸・産業工芸に分類できる。でもその境はかなりファジー。実際、民藝品と呼ばれるものも美術館で傷つかないよう、美術館で保存されているわけで。
「京都の六曜社珈琲、美人がタバコ吸ってる姿が見られるので良い」
(パターン化されたエモ)^2
「文字データの抜き取りをスクショくらいの手間で出来たら幸せになれる」
なんかこれ毎回2個くらいソフトとかアプリ通過させてようやくできません?ワンボタンかワンショートカットでやって欲しいくらいには多様するから。
*
前編よりは思いのほか短くなってよかった。たいていの中編がそんなもんですよね。そうなると、この後待ち受ける後編が、最終章part1, 最終章part2みたいにしなきゃいけない。次で終わりと身構えさせて題名がファイナルじゃなくて、最終章だったときのなんなんだ感腹立つよね。そう考えるとあぶない刑事はすごい。「フォーエバー」のあとに「さらば」があるし。今度2024年に新作やるし。プロレスラーとラッパーと宮崎駿とあぶない刑事は引退宣言を間に受けちゃいけない。
2023年のメモ 前編
年明けでまだ課題をする気が起きないので、2023年に書いたメモをまとめがてら、1年間更新を怠っていたでお馴染みブログを更新します。ブログを書こう書こうと一年間、頭の片隅では思い続けていたので、心の中のささくれを取り除く作業と言えるでしょう。この表現、丁寧な生活ロールモデル的な人が書くエッセイに頻発しそうで気に入ってます。心のささくれ。
そうだ。なぜ仕事ではなく課題かと言えば社会人になるのを嫌って修士に進学しているからです。モラトリアム延長戦。修士生活終わったらW杯後の中田ヒデみたいに泣いちゃうかもしれない。社会人になる事実を受け入れられなすぎて。卒業したら鬼塚ちひろの月光を歌い上げたいと思います。I am God`s Child
*
・1月
「自殺の名所に宗教施設作るの心が弱ってる人の狩場として効率が良いらしい」
らしいです。富士の樹海とか東尋坊とか。自殺という最後の選択肢すら奪われ悪意のシステムに組み込まれるって、資本主義の最終段階すぎますね。
「癒しと革命こそ現在と最も呼応する物語のテーマ」
実際、今年の出来事はこの二つの出来事に収束されてる、と言ったら大袈裟かもですが、大体当てはまるような気もします。問題は、どの出来事も癒しと革命が独立していたことで、この両輪を欠けずに時代を廻すことが20年代の目標のような気がします。そのためにも両輪に目を向けた物語がもっと作られ、民衆に響く社会になってほしい。
「攻略ラジオやりたい」
自分が面白がっていることの一つが『攻略』だと気付いた。自分なりの攻略法を作り、他者とシェアしてより攻略の精度をあげるって現代の快楽の本質のような気がしてます。攻略するテーマはゲームから街まで幅広く。ただその反動で反攻略的なムーブ、つまりは無計画・無策・無為がよしとされる社会もすぐ来るはず。
「昔のアルバムの曲を全然ライブでやってくれないバンド、昔の曲が好きな身からすると、もう解散している状態に近いかも。夫婦の倦怠期のような。解散して希望がなくなるより良い、とも与えてくれないだけ残酷とも取れる。」
ハマるのが遅かったりするとライブ行ってもインディーズ時代の曲が好きだったのにやってくれないとかある。リリースツアーとかだからそりゃしょうがないんだけど。好きな分、アルバム曲に一番好みが潜んでたりするから余計に演奏されない辛さがある。あんま好きじゃないアルバム曲に限って、ライブ映えするみたいな理由でいつも演奏されるんだよな。
「バカリズムの脚本、毎回自己紹介とか身の上話と現状説明とかから入るから一瞬で気付ける」
去年の年始にノンレムの窓とブラッシュアップライフを立て続けに見て気付いた。情景描写とか画面演出を信用せず、最短距離を突っ走る感じ、時間制限があって無駄を省く必要がある、お笑い芸人あがりの脚本の書き方だなーと思う。その分、バカリズム脚本ドラマ見た後だと、1話の密度が高いから純脚本家のドラマに物足りなさすら感じちゃう。
「海原雄山はデウス・エクス・マキナの一種」
YouTubeで美味しんぼ見るたびに、話が停滞しそうな時とかすぐ出てくるから思った。思いつきすぎるので全然間違ってるかもしれない。
「昔見てた『変身インタビュアーの憂鬱』ってドラマで最終話に出てくる架空の心理学用語に「受容人格」ってのがある。
民意を無意識に受容して、自身の人格に反映し具現化してしまう症例のことを指してるんだけど、こんなにも現実で用いたい架空の用語ないよってくらい現実に思い当たる節がいくつもある」
最近の世の中見てるとより思いませんか?社会の意見を自己の精神性と錯覚しちゃう人、本当に多い。会社とかバイトでもいますよね。企業に虐げられてる側なのに会社の使命背負っちゃってる人。真面目すぎる、かつ、背負うべきと規定した範囲が自己の器より広くて、正義が溢れてるんだと思います。
「司馬遼太郎とか駿河城御前試合は小説におけるモキュメンタリー」
モキュメンタリーブームの2023年でした。そろそろシグルイ実写化あると思います。岡田准一vs柳楽優弥とかどうでしょう。藤木も山崎賢人にするなら伊良子は佐藤健とかになるのでしょうか。前者がいいなー。
「力道山殺害未遂→木村政彦 ジャズ殺害容疑→ウィントン・マルサリス」
我ながらうるせーと思うメモ
「キックバックで米津か轢かれるやつ、本質的にはThis is Americaのパクリだよなーと思ってる。本家の方はインパクトの土台にそれをやる理があるから良いんだけど、米津の方はインパクトの部分=上辺だけをパクってるにすぎないよなと。で、この本質を理解せず上辺の振る舞いのみ飲み込んで、なおかつそれが二次的三次的に称賛されてしまう流れはミーム世代の悪癖だと思ってる」
ミーム世代の悪癖って即物的な快楽に執着しすぎてその背景を探らないことにあると思うんだけど、背景の快楽でしかないウマ娘のヒットって事例もあるんですよね。大半の出来事に使われてる言葉で辟易するけど、これも二極化なのでしょうか。
「綺麗事を知性によって体現出来る人が大人だと思ってる」
これは本当にそう。祈りも込みで。綺麗事すら言えない社会に成り果てて辛いです。
「PUNPEE(@POP YOURS2022)「今日は声出せないけどヒップホップはもっと声なき者のためのもの」」
さらっとこういうこと言えちゃうのがP氏なんですよね。ヒップホップもそれこそ背景を知る快楽で、バトルと楽曲の分断もミーム世代の論議に収束すると思います。
「周央サンゴが『人を殺して恋人と逃避行中の車内シチュ歌枠』(まずそれが意味わかんない)をやってたんだけど、その中で"PUFFY / これが私の生きる道"歌いながら「こんなの歌ってたのバレたら刑重くなったりして…照」ってセリフ吐いてたの天才過ぎて最高だった」
本当にやってないと出ないじゃん、って台詞にこそ作品の魔力が宿る。
「読書はパルプンテなので読み終わるまで効果は分からないし、効果すらなく徒労に終わる可能性もあるんだけど、読書だけでしか発生しないエフェクトが山程ある。それを楽しむ気持ちさえあれば本はいくらだって読める。
あと、読書すればするほどそれが徒労に終わる可能性は着実に減っていくし、未知のエフェクトがガンガン増えていく。」
即物的に時間を消費しないで済んだ時代の貯金で救われてると感じる瞬間が人生で何度もある。最近は浪費する時間を無理やり作ってる。憧れてる人たちは皆ナチュラルにこれをやれてて凄い。
「通常、編年体を通して歴史を学ぶことが論理的かつフォーマルな形式として考えられているけれど、紀伝体を通して歴史を学ぶことで人間を知ると同時に、その時代に起こった出来事の意味についてより深く知れるのではないか。」
歴史映画とか大河ドラマで知ってるとこだけやけに詳しいとかある。暗記が苦手だったのでそういう勉強法しかしてこなかったけど、慶應くらいは入れました。コツはこの方法を信じて疑わないこと。疑って一般的な勉強法を試した瞬間に紀伝体勉強法の魔法は解けてしまいます。
「いらない豆知識 目隠しした状態で腕の脈下部分を濡れティッシュで拭かれると、注射されんじゃないかって体に緊張が走る」
日常で分かりやすくパブロフを感じた出来事
・2月
「「大好きだけのお祭り始まった」みたいな正しくないけど、正しく書くより簡潔で感情もより伝わってくる文章をかけるようになりたい。ただのワードサラダではなく、直感でバイブスを理解させる技量」
『コットンキャンディーえいえいおー』って曲です。
「結局、ジャンル映画の混雑両立という観点でMCUがやりたいことはジョジョかやってるんじゃないかと思った。それを言ったらアメコミがもっと前にあるわけですが。ジョジョもアメコミも定期的なリランチがあるしマルチバースもある。分業制であるか否か、というところでジョジョの方は統一された鋭い芸術性がある」
逆に言えばマーベルには作家性が分散しているが故の多様性やリスクヘッジがあるわけで。
「「鮭の乱」とか「レナード対ペプシコ事件」とかの奇を衒った広告が狙い以上の影響力を持ってしまい、想定していたものとは全く違う方向で熱狂を生み出してしまう、って類の社会現象好き。広告打ち出した側も一瞬で手がつけられなくなるくらい燃え広がっていく雰囲気とかたまらない。もうここまで暴れ回られると焼け野原になるか、撤回して株価大下げしか未来がなくなる感じのやつ。
「ええじゃないか」とか「ベルリンの壁崩壊」にも近いものがあったのだと思う。ポイントは企図した側が、そのレベルの熱狂を意図してなかった部分にあると思う。意図したアジテーションが想定通りの熱狂を生むことは難しい。客は広告の意図のみに強く敏感で、それに気付くとみんなすぐ冷めてしまうから。」
予想通りに喜んでる客見ても冷めちゃうし。広告に限らないけど、エンタメの正義は本物の熱意にしかない時代なのだと思う。偽の中に本物がないと許せない観衆の時代。
「穂村弘の歌論集、短歌を読み解く中に筆者の愛とか希望とかロマンチストなところが詰まってて読み始めてすぐ泣いてしまった」
これからはロマンチストの復権がトレンドになると思います
「短歌は鍵付きzipファイルに似ていて、同じ温度の思いとか経験を持っている人だけに解凍され、圧縮された情報を読み解くことが出来る」
鍵を持ってない人はファイルをすぐゴミ箱に入れてしまうし、それだけに鍵を持っている人と出会えたときは、魂の次元が上がる感覚に陥る。
「シャンチーの序盤戦闘シーンもソニックアドベンチャーのステージ1 "シティエスケープ" もサンフランシスコがロケ地。ザ・ロックも同じ。」
魅力的な坂だからゲームのステージにしようって感覚、メッチャ良いよね。
「環境ストーリーテリングとしてのビデオゲームのフィールドデザインとテーマパークにおけるエイジング手法の類似性に関する考察」
もっと広く空間芸術という分類でこれは融合していて、現在の研究テーマの一部になってます。
そうだったとて
「マルチバースVTuberっていう同じガワを複数の演者が使うグループ」
これ普通に良くない?ややこしいだけ?
「模倣によって軸が定まるということ」
模倣されたものをいくつも並べていくことで、オリジンに潜む本質を読み解くって考えなんだけど、AIの学習法がこのまんまですね。本質が何かという問いにAIが答えてくれることはないのだけれど。
「事件の解決とか犯人当てに重きを置くのではなく「落とし所を探す」物語が増えてきたと感じる」
多重解決とかまさに。本当にただの偶然だけどM-1決勝1stで令和ロマンがやってたネタもこのことを言ってると思う。
「グノーシアが好きなのでブラッシュアップライフの転生してる人間同士の周回数の擦り合わせをどうしてるのかメチャメチャ気になる。」
a回目のAさんとb回目のBさんがいて、次の世界ではa+1回目の人とb+1回目の人になってるんだけど、a-b回目と0回目の場合とか、a+10がAさんの転生の限界回数として、とか気になってしまう。SFの考証を深く考える必要のある作品とない作品で間違いなく後者なんですけどね。
「「理屈っぽい」って揶揄が一番嫌いかもしれない。自分が常に思考を巡らせられない人間で、かつそれを劣っていると認めたくない故に他人を批判して安心する精神性。勘違いしてはいけないのが、コミュニケーションのために歩み寄らず、持論だけを述べようとする人を「理屈っぽい」と批判することがあるけど、それは理屈ではなく、ディスコミュニケーションの成れの果てでしかなく、同一視してはいけない。」
それ理屈っぽいのではなく、思いやりがないだけでしょって思うことがあったので。これ以外で理屈っぽいが使われる場面は、言ってる側が浅慮なだけ。
「「伏線回収が好まれるのは私達の人生にも意味があると、読者が希望を受け取れるから」ってやつ誰の言葉だっけ?」
Twitterの名も無き人かも
・3月
「義務教育を受けて良かった唯一のこと、義務教育は受けなくても良い物だと知れたこと、な気がする」
さすがにニヒリズムに侵されすぎてる。社会にはいらないルールが膨大にある、と義務教育で教わった最も意味あること、みたいな皮肉を書きたかったのだと当時の心境を察します。
「人狼ゲームって倫理的に考えたら、間違えて市民を処刑した時点で村人陣営の負けになってもおかしくないんだけど、ゲームの体裁を守るために「経費」とか言ってそれが見過ごされてるんですよね。もっと死にナイーブであるべき。システムがそうさせているという点では、スタンフォード監獄実験に近い構造」
夕木春央『方舟』を読んでて思ったこと。この小説、人狼に縁の薄い人からはトロッコ問題と言われがちなんですが、明確に犯人というターゲットが存在する以上、人狼の構造でしかなく、人狼が一般化したことによって見失われた残虐性を大っぴらに、そして皮肉に見せつける小説だと感じました。
「ボードゲームのフレーバー(もしくはテーマ)とメカニクスの切り分け、他のジャンルにもかなり応用が効く概念だと思ってる」
この後、大阪旅行で中之島美術館の『民藝展』を訪ねて「用と美」という概念を知り、ジャンルは違くても先駆者が行き着く思考は重なるって事実に感動しました。研究でかなり重宝してる指標です。
「宮本浩次 (ひろじ)加藤浩次 (こうじ) 相葉雅紀 (まさき)長谷川雅紀(まさのり」
似た事例をたくさん集めて神経衰弱やりたいです。
「「なーほーね」から考える、ら抜き言葉と-ar抜き言葉」
ら抜き言葉と言われるものは「来られる-ら=来れる」ではなく「korareru - ar = kor eru」なんだそうです。「なーほーね」はより分かりやすい事例で「なるほどね」に「ら」はないけど、arはあるので「naruhodone - ar = n uhodone」になり2つのoに挟まれたdも連続する母音による打ち消しから「nuhodone - d = nuhoone」になる。「ぬーほーね」ではなく、「なーほーね」になるのはaという母音が強く、uを乗っ取りやすいかららしいです。そこら辺は川原教授の音韻論にまつわる書籍を読んでください。
「現在の社会を定義しなければ研究を進めることは出来ないけど、現在の社会を定義するには研究をしなければならない」
「2chとかもそうなんだけど、「どうせここが終わっても第2第3のフォロワーが現れる」的な言説は完全に嘘でしかなくて、本当にダメな物はダメだからって理由でちゃんと終わらせる前列を作らなきゃ、際限なく増え続けちゃうし、前列があれば逆説的にダメなものって認知されるから、しっかりと次第に減っていくんだよ」
フォロワーは先駆者の末路もちゃんと学びますからね。より巧妙になるとしても、対抗する我々が今度は悪を倒した経験値を支えにできる。
「国道沿いつまらなすぎる問題」
国道ウォーキングを誰もやらない理由
「ランクマッチ環境の恒常性維持におけるメタ循環性についての考察」
これだけで1ブログ書けるくらいあるので放置。
「イギリス 緊急通報 999 緊急でない通報 101」
こういうゆとりがシステム化されてるのかなり良い
「2000年代のマス文化って基本的に美的感覚がキャバクラと一緒」
じゃないですか?ブルーを背景にダイヤ風のキラキラした装飾みたいなやつ
「サンタナ→メキシコに吹く熱風 ワムウ→スイスで風になった 山田恵一→リバプールの風になった」
我ながらうるせーと思うメモ2
「料理の四面楚歌」
我ながらうるせーと思うメモ3
「渡る世間は鬼ばかりの主題歌に「僕たちが持てる輝き抱きしめながら〜」勇気100%の歌詞を載せて歌える」
そうだったとて2
「スキーの事故に法律はない」
書き方が良くないけど専門の法律がないらしい。スキーが特別そうなのかスポーツ全般がそうなのか。
「学校の引力に阻まれて日没まで帰宅出来ず放課後を過ごしてしまった生徒たちが織りなすジュブナイルホラーを毎年観たいだけなんだ」
もちろん『学校の怪談』のことです。竹中夏海先生が出てる2が一番好き。
「卓球とテクノは相性がいい」
電気グルーヴのことを想定しているようで、たしか似たようなことを海外のゲームクリエイターが言ってたんですよね。卓球ゲームにテクノを採用した理由みたいな文脈で。球の一定のリズムとテクノのビートのことだと思う。石野卓球本人はどう思ってるのか知らないけど。
「Appleが独立国家になったらMacBookみたいな国旗になる」
真っ白なMacBookってないですよね。シルバーだとかなりApple Mac 1984の世界観。
「プロレスとハロプロの類似性」
ハロプロというかアイドル全般。ももクロの先見性って、これからもまだまだ思い知らされるんでしょうね。
・4月
「川本真琴は「きゅうちびると唇 目と目と手と手」って歌ってる」
そうだとて3
「三枝夕夏 IN dbは「君と約束した優しいあの場所まで」より「君の瞳の中はミステリー」の方が圧倒的にコナン主題歌感ある」
アルバムの曲目見るとそう思うし、聴いた上でも別に後者で良いなと思う。
「giftには贈り物(英語)の他に毒(ドイツ語)の意味があって、オランダ語では両方の意味を持つ、って話はポトラッチ的にかなり腑に落ちる」
ポトラッチって色んなところで出てくるテーマで、出てくるたびに興奮します。水曜日のダウンタウンでやってた「1000万円を受け取ってもらうの逆に難しい説」も完全にポトラッチの検証
「日常のモヤモヤとか記憶からすらも捨て去られ得る感情がフィクションやエンタメの中で"ある"と示されることにまず救いがある。なぜならば捨て去られる感情は、まだ名前が付いてない故に、共感がされ辛いから、捨て去られてしまうわけで、フィクションがその感情を掬い上げる行為には、名前をつけることと共感することの2つが同時に達成されているから。
問題の解決、というところに救いを設置する人は多いのだけれど、まず問題の顕在化、というところにこそ、本当の救いの一歩目がある。」
RGのあるあるを俵万智が「道端の小石に名前を付けて回る行為」と評してましたね
「↑に照らし合わせると、スタンダップコメディが日本で受容されないのって、構造でも方法でもなく、取り上げるテーマを問題として抱える人の少なさに尽きると思う。
結局、抱えてないテーマを問題として提示されることの煩わしさが、笑いのノイズになる。
お笑いの言葉で話すなら、社会とか日常生活で目にする万物がフリであり、フリとして機能してなかったものを機能させるのが、↑の感情を掬い上げる行為(=お笑いの言葉で言う「発明」とか「発見」)で、そもそもフリがないもの、社会や日常生活で提示されてないものを取り上げるスタンダップコメディはノイズになる。ということに過ぎない。
なので結局、コメディアンに問題意識を寄せるのは間違い(寄せたくなる気持ちは分かるけど)で、そもそもシステムとか集団意識の問題なのに、末端の現場に文句を言ってるような状態と損傷ないのではないかと思う。」
問題として抱える人が少ないから、無視していい問題なのではなく、むしろ問題視され笑いの対象になるよう民衆がスタンダップコメディを受容できる社会に変化しなきゃいけない。芸人は社会の受容に合わせてネタを供給するだけなので。供給側に受容を作らせるのは主客が転倒している批判にすぎない。
「ベータよりVHSが選ばれたとことかが日本人の良くなさだと思う」
大きな動きとして論理より感情が優先されるところ
「きまぐれオレンジロードの主人公はストレートネック気味」
ちゃんと絵をみると怖い
「外馬を考えよう」
賭ける以上に考えるのが楽しい行為 外馬
「ウソ雑学 四つ葉のクローバーは人間が摘むから数が少ない」
そんな気もしなくもなくもない
「道が狭い例えをヴィレバンにするかカルディにするかに人が出る」
聴衆の客層によって変えている人もいるかも。ジャンプ編集部か、という一部のみに伝わる例えもある。
下の名前が飲食物の系譜。山崎ナオコーラと森本サイダーはもっと近い。
「近代のドラム問題(tofubeats)」
サンプリングしたドラム音が、それも一度サンプリングされたものという問題。引用の孫引きみたいな。ただ研究とは違うので、音楽でそれをダメとする規範は何に基づくのか、という話も加えてしていた。詳しくはtofubeatsのハードオフビーツのどっかであった。(比較的最近のシリーズなはず…)
「drenchって単語はびしょ濡れって意味で、元はdrencanって単語で飲ませるの意味なんだけど、「じゃあ、デキャンタも近い語源なのかな」「いやそれはただのfrench」とか言ってたのが楽しかった」
トリリンガルの人の言葉遊びって神々の戯(あじゃら)に聞こえるのかも
「凪の心地良さへの依存と、生存戦略としての自己変革の流動性のせめぎ合い。凪は穏やかだけど自己変革はストレスが溜まる。ただ後者が必要なのも目に見えて分かる」
社会生物として生きるか、人間としての個に固執するか。みんなが抱えるアイデンティティの問題
*
一年分書こうとしたら4ヶ月分でまさかの8000文字越えしてビックリしました。
中編 5月〜8月
後編 9月〜12月
をまとめる予定です。今年はブログ書きたい。でも確定で忙しいんだよな…。
イロモネアはローグライクの要件定義を満たすか?
『ローグ』とは1980年に発売されたコンピュータゲームである。
一度死んだら初めからというシビアなシステムや自動生成の複雑なダンジョン、ターン制の駆け引きなど当時では考えられなかった革新的なゲームシステムが、好事家たちの間で人気を博し、ローグ発売以降、現在に至るまで数多もの後継作品が製作された。
このローグと類似したシステムを持つゲーム群を『ローグライク』と総称し、インディーゲームを中心に一大ジャンルを担っている。
日本でも『風来のシレン』『トルネコの大冒険』『ポケモン救助隊シリーズ』など「不思議のダンジョン」と呼称されるものは、基本的にローグライクに分類されるゲームである。
ローグライクゲームはそのシビアなゲーム性から大衆からの支持を得難い。しかしその代わりにローグと聞けばすぐに食いつく熱心なファンが界隈を支えている。
こうしたファンは善良なローグライク開発者からすれば最良の味方であるのに対し、悪徳ゲーム開発者からすると絶好のカモとなる。
そのため、徐々にローグとは似ても似つかないシステムやクオリティの低い粗悪品も、ローグライクゲームを名乗り始めるようになった。
どれだけ評判が悪くなろうと、初速で一定の販売数を獲得できれば勝ちというのが、悪徳ゲーム開発者の販売戦略である。
この問題の大きな点は、ローグライクという定義の曖昧さにある。
当時は開発側の裁量によって定義は大きく揺れ、極端な話、発売する開発者自身がローグに似ていると思えばローグライクを名乗れてしまう状況だった。
こうしたローグライクを取り巻く環境に問題意識を持ったファン兼開発者たちは、2008年とうとうその重い腰をゲーミングチェアから上げ、ドイツに一堂に介した。
ここで開かれた会が「第1回 International Roguelike Development Conference(通称:IRDC)」である。この第1回IDRCの中で開発者たちにより、改めてローグライクの定義と構成要素の明文化が試みられた。
それこそがベルリン解釈である。
ベルリン解釈は現在においてもローグライクゲームを制作する際に最も重要な指標であり、
ローグライクゲームという暗い海を進む開発者たちにとって灯台のようにひとすじの光をしめす。
また、ベルリン解釈で定義されたいくつかの要素・項目を意図的に省き、これまでのローグライクでは実現が困難だった、遊びやすさやアクション性の高さ、RPG的な成長要素など加えたものをローグライトと呼称することを補足する。
2021年ゲームオブザイヤーのノミネートやネビュラ賞ゲームライティング部門を獲得した名作『HADES』もローグライトに分類される。
前置が長くなったがここからが本題である。
ベルリン解釈の要件に寄り添えば、イロモネアはローグライクと定義することができるだろうか?
ベルリン解釈についてはこのページ(http://www.roguebasin.com/index.php/Berlin_Interpretation)を参考にした
『ザ・イロモネア』とは、2005年からTBSで放送された芸人コンビ・ウッチャンナンチャン司会のお笑い番組で、
挑戦者となる芸人が、ステージごとに5つのジャンル(一発ギャグ・モノマネ・ショートコント・モノボケ・サイレント)から一つを選び、
その内容に沿ったネタで、会場にいる100人からランダムに選ばれた5人の客の内3人を1分以内に笑わせることが出来ればクリア。
それを4ステージ、ジャンルを潰しながら繰り返し、最終ステージでは5人全ての客を笑わせることが出来れば100万円獲得する。
というルールで、仮に1stステージでも1分以内に3人を笑わせることが出来なければ敗退となり、
その後は次回収録に呼ばれるまでコンティニューすることは叶わない。
このルールは非常にローグライク的であり、少なくともローグライトの定義は満たしているように感じる。
そこで実際にベルリン解釈で定義された構成要素を見ながら一つ一つをイロモネアに照らし合わせていこうと思う。
①ランダムな環境生成(Random environment generation)
ゲームの世界はランダムに生成される。アイテムの出現と配置はランダム。モンスターの見た目は固定。固定コンテンツ (ストーリー、パズル、金庫室) にはランダム性は必要ない。
前述の通り、イロモネアではあらかじめ5つのジャンルが決められていて、順番もランダムではなく挑戦者の芸人が選択することが出来る。
そのため環境のランダム要素は薄いと言える。強いて言うならばモノボケの品物だが、それもある程度は固定されている。
ではイロモネアのランダム要素はどこにあるのか。それは笑わせる対象となるターゲットの観客である。
これは対象であるモンスターがランダムになっているようなもので、モンスターファーム×ローグライクという新たなゲーム性を実現していると言える。
またターゲットの観客を芸人が特定できないルールは興味深く、4ステージをこなす中で、ある程度ターゲットの像をプロファイリングし、最終ステージでそのターゲットに合わせたネタをチョイスする技量が問われる。またパワーを重視して、100人全てを笑わせる方針を取るのも選択肢の一つであり、視聴者はプレイヤーに沿ったゲームプレイを楽しめる。よって一部アレンジされた上で要素を満たしている。
②恒久的な死(PermaDeath)
死ぬと最初のレベルからやり直し。( 途中保存は可能。但し二度同じセーブファイルをロードすることは出来ない)
ランダムで生成される環境は、ゲームのやり直しを苦痛を与えるものではなく、楽しむためのものとして機能している必要がある。
各ステージごとに3人以上を笑わせないまま、制限時間である1分が過ぎれば恒久的な死が待ち受けていて、次回収録まで再挑戦は叶わない。また番組自体に呼ばれなければ恒久的な死は更に揺るがしがたいものとなる。よって要素を満たしている。
補足として、レギュラー後期ではゴールドラッシュシステムというイロモネア挑戦権を獲得出来るアップデートもされているため、決してチャンスがないというわけではない。
③ターン制(Turn-based)
全てのコマンドが一回のアクションと見なされる。ターンにシビアな分、現実時間の制限はない。
前述の通りイロモネアはステージごとに時間制で進行していくため、この要素は満たしていない。ただしステージ選択の際のみは時間が止まるため、ターン制とリアルタイムアクションの複合と定義することは可能である。
④グリッドベース(Grid-based)
ゲーム世界が格子状に区切られたタイルで表現される。モンスター(及びプレイヤー)はどんなタイプでも、一体でタイル1マス分の大きさになる。
プレイヤーの舞台に格子状の区切りはなく、行き来も占有面積も自由であり、プレイヤーはこの要素を満たさない。しかし観客の顔は格子状に区切られ、老若男女、もちろん身長にも関わらず、1マスに一人が収まっている。決して一つのマスに二人の観客、もしくは二つのマスを一人が占有することもない。そのためモンスター側はこの要素を満たしている。
⑤ノンモーダル(Non-modal)
行動、戦闘そしてその他の行動は同じモードで進行する。ゲームのどのタイミングでも、全ての行動が出来る。
各ステージはジャンルが与えられ、そのジャンルから逸脱する行為は認められない。またネタ以外の行動は有効でないため、この要素は満たしていない。
⑥複雑さ(Complexity)
ゲームは目標達成のために複数の解決方法を考えることが可能となるだけの複雑さを有する。また単一のルールを有すること関連する。
イロモネアは複雑さこそないものの、プレイヤーには複数の解決法が可能な自由度を与えられている。
挑戦する芸人によってネタの内容は十人十色であり、ジャンルが固定されることによって、コンビごとの特色がより明確に際立つため、ルールが単一であることに深く関連するシステムであり。要素を満たしている。
⑦リソース管理(Resource management)
プレイヤーは限られたリソースを管理する必要がある。また受け取ったリソースは用途を模索し、有効活用する。
各ステージの時間は有限であり、そのリソースをいかに活用するかが鍵になる。
またモノボケステージでは実際にアイテムを受け取り、その最適な使い方を模索することとなるため、要素を満たしている。
⑧ハックアンドスラッシュ(Hack&Slash)
ゲーム中で何よりも重要なのは敵を多く倒すことであり、プレイヤーVSゲーム世界が望ましい。(モンスター同士の争いはない)
イロモネアにおいて観客を笑わせるのは、プレイヤーである芸人のみで観客同士で笑わせ合うことはない。またランダムに5人選出されるシステム上、100人全員が敵=ゲーム世界が敵であるため、要素を満たしている。
⑨探索と発見(Exploration and discovery)
ダンジョンレベルの注意深い探索や未確認アイテムの発見は、プレーヤーが新しいゲームを開始するたびに行う必要がある。
前述の通りイロモネアはシンプルな設計であり、モノボケも基本的に同一アイテムも固定である。そのため探索と発見があるとは言えず、この要素は満たしていない。しかしバナナマン設楽が火事で溶けた携帯を使用した例もあるため、軽視するべきではない。
このようにベルリン解釈における、価値の高い要素の9つのうち、6つが要素を満たしている。また他の3つも条件付きで要素を満たす場合がある。ここまでベルリン解釈の価値の高い要素を満たした、ローグライクゲームは相当な近年のフォロワー作品には少なく、相当な優等生と言える。
結論:イロモネアはベルリン解釈に則って、ローグライクゲームだと定義できる
雑感
『おいでファンタジー 好きさミステリー』
って言うけどドラゴンボールにミステリー要素なくない?
↑でも、この意見が野暮なのもよくわかってる
夢の中で、ドラゴンボールをハリウッドで映画化するなら、人造人間編に絞るべきだなって意見を思いついて、名案じゃんってホクホクしてたんだけど、起床してから思い直してたらただのターミネーター2になることに気付いてヘコんだ
人から卒論についての話を聞きたいんだけど、卒論を適当にやってる人が意外と多くて悲しい 高校でやってた部活くらいの熱量で卒論の話もしてほしい
台風の時の死亡フラグ 陸の孤島と化した洋館で殺人事件が起こっている場合は「こんなところで殺人鬼と一緒に居られるか!俺は自分の部屋に帰らせてもらう!」で、河川から引水した農地を持っている場合は「ちょっと川の様子を見てくる」 小学生の時は「ちょっとTM Revolutionごっこしてくる」もあった
数ヶ月ぶりにデニーズ来たら、ドリンクバーのセブンイレブンコーヒーが消えてて悲しい。デニーズに行く理由の一切がなくなってしまった…。
中学生の頃とかカゲロウプロジェクトとかに影響受けてる同級生を「大丈夫か?大人になったら絶対後悔するぞ」と思って見てたんだけど、いまになってその人たちが「あの頃、イタかったよねー笑」って共感し合いながら、懐かしがってるの見るとメチャメチャ羨ましいので、若気の至りというのは大事
鯛焼きにも養殖と天然があるらしい
『死ぬことで初めて仲間になる』 『死んだら一生仲間にならない』
という点で対立しているんだけど、両者とも人類の営みから生じた争いの鳴らす諸行無常さが、作品の通奏低音として鳴り続けてる。根っこは同じだけどアプローチは真逆というストーリーテリングの良い例
thisコミュニケーションは、ファイアーエムブレムやりながらときめきメモリアルやるみたいなストーリー。FEと違って死んでも生き返るけど。
ビルドゥングスロマンとしての主人公は長い物語の主人公に実は不適で、幼さと同時に、得体のしれなさがある主人公の方が長期連載に向いてる。だから悟空やルフィはたまに目が据わってる。逆にNARUTOが中忍試験編まで面白いのは、前者の主人公気質だから。
ルーブル美術館は第一日曜日に行くと良いらしい
森田剛が好きなもの
・宮沢りえ
・Buddha Brand
渋谷は全体的に地図以上に距離を感じる事が多い
大学のレポートで結論で急に論理を飛躍させるクセがあるんだけど、四畳半神話大系に影響受けてるからかもしれない
時間無い時のレポートは結論をMOROHAの歌詞くらいアツいことを言って乗り切ろうとするクセもある
Google Earth VRでGeo Guessr がやりたい。ノワール映画で目覚めたら見覚えのない場所にいるアレが疑似体験できそう
「禍福は糾える縄の如し」←カッコつけすぎ
昔のMステで、今まで出たアーティスト全部紹介SPっていうのがあって、五十音順に紹介したせいで、大トリが『笑金オールスターズ』になりかけてた。ラストなんとかWANDSがまくって終了
小学生の時、地域で唯一マジコン持ってるやつのあだ名がマジコンのガッツって呼ばれてたんだけど、音が完全にアジカンのゴッチのそれ
YouTubeのコメント欄に「ここのコメント欄は治安が悪いですね」→「コメ民の民度低いからね」→「米民の人たちいい加減にして!」って流れがあったんだけど、米民はアメリカ人じゃん
両A面シングルってCDの時はミュージシャンの心意気がある分、お得だねと思ってたんだけど、サブスク時代になると別のシングルってあつかいになってて、CD単位で聴けない分、厄介な存在になってしまってる。
独断で選ぶジャンプのもったいない打ち切り
「左門くんはサモナー」「賢い犬リリエンタール」「magico」
FIREってもしかして長瀬君のこと?
そろそろ「あれこの山手線人少ないな」→「大崎駅止まり」の法則に気づけるようになりたい。毎回来た電車に乗っては、人少ないじゃん!座れてラッキー!って馬鹿の一つ覚えみたいに喜んでる。
魔改造の夜は、トイストーリーのシドが抱いていたクリエイティブ性を肯定してる
1番オシャレなボードゲームのタイトルは『ワイナリーの四季』
ハンドスピナーとマリトッツォは流行り方が同じ
前からぼんやりと存在してた物にポップな名前が与えられてブームになる
コールドブリュー飲むと焼き芋の味がするの理屈がわからない
カフカの変身と「余命でも付いたらイジメられないし少しは楽なのかな」はテーマが同じ。自分にはどうしようも出来ない外の要因=運命によって、社会性を喪失したいという願望に基づいてる。
水上悟史の漫画、いつもストーリーがこれでもかというくらい最短距離を走るので、一冊で五巻分くらいの満足感がある。構成がアスリートの体型くらいしぼられてる。でもちゃんとキャラクターを愛らしくみせる、描写もあるし本当に漫画家として一つの完成形にある。
前に小学生がランドセルは重いから、ランドセルを引きずって歩ける「さんぽセル」を開発しました、ってニュースが論争になってたんだけど、もし頭硬い人たちが負けて、最終的にさんぽセルが許容されるところまで行き着くと、じゃあもうランドセルである必要ないじゃん(ランドセルは子供が背負うことによって怪我から守ってるけど、背負わなきゃ意味がないので)普通にキャリーバッグ使うよ!ってことに落ち着くと思うんですけど、
これだと結果的にランドセル→さんぽセル→キャリーバッグ、の「さんぽセル」の部分はショートカットされるわけで、禁止されようが許容されようが誰にも使われないけど、製作されてその存在が周知されたことには意義のある物って、ほとんど芸術作品と同義だなと思った。もしくは核兵器。
美味しんぼで最も有名なエピソードである鮎の話が、主人公の敗北エピソードであるの興味深い
実話怪談師がいるくらいだから虚構怪談師がいたっていいはず。恐ろしいモンスターとかアンデットがうじゃうじゃ登場する話を聴かせて欲しい
青春ミステリは犯人である学生が思春期ゆえに抱える葛藤が反抗の動機となる事が多く、一般の青春小説と比較した時に、青春の影の部分が濃くなっていて、それゆえにより鮮明に作者の青春論を感じられて好みなのかも、とか思う
藤崎竜は文学部のゼミで教授から寵愛を受けるタイプ
フジリューは作家として「ただ物語をなぞるだけなら漫画化する必要ないじゃん」という考え方なので、至極当然のように思いもよらない改変をしたりや奇抜なキャラクター性を付与したりするから、原作ファンが漫画化だ!と思って読むとメチャメチャ面食らうことになる。自分は藤崎竜ファンなので原作もフジリュー版としての漫画も楽しめて一石二鳥だなと思ってる。ちなみに小野不由美先生も元々藤崎竜ファンで、屍鬼の漫画化の際に「原作と同じならやる必要ない。やりたい放題やってほしい。」って言っていた、という話が最終巻のあとがきにあった記憶がある。
「誰かを待つ」という物語の綴じ方、よくある手法だけど余韻の残し方が一番好き
『アンドロイド警官と人間刑事のバディ物で、人間の方は引退だったり殉職だったりでシーズンごとに交代していくシリーズ』ってとこまで考えたけど『相棒』だ
言語を用いないVTuberって人気出そう カービィのゲーム実況見てみたい
ポップカルチャーのトップが最先端のアーティストとかコンポーザーをフックアップするという構図、晩年のSMAPとかが積極的にやってた印象があるんだけど、数年くらいぽっかり空いてた感があって、最近になってその役割を企業系のVTuberが担い始めてる感じがある。
スイカがフルーツ業界で一定の地位を築き、いまもなお持ち上げられているのは、風物詩というバフに依るところが大きい。というかスイカは野菜である。
バナナが耳に詰まっている人にバナナが耳に詰まっていることを指摘する人の耳にもバナナが詰まっている場合、「すみません、聞き取れなくて。耳にバナナが詰まっているもので」というオチが二者間でリフレインする。
良く出来たボードゲームの特徴の一つとして、自分が育てていた焼肉を収穫する寸前で、他人に奪われるみたいなことが何度も起こる。そしてもちろん自分も奪う側に転じる。
結局私達は悩み続けるキャラクターが好んでいて、答えを持ってるキャラよりも感情移入しやすく、答えを獲得するプロセスに将来の自己を投影してる
ロマンスの魔法が解けた後の恋愛に対する不安感とその先取りがマリッジブルー
街そのものの情報量について最近考えていて、繁華街は無駄に情報が多くて疲れるし、郊外は少なかったり、他の郊外との同景化が進んでたりして、楽しみが少ない。
個人的なちょうど良い情報量の街は錦糸町 錦糸町はなぜか歩道橋にエスカレータがある街
葬式があわただしいのは、残された人が悲しさを少しの間でも忘れられるように願って設計されたから
人間がより贅と幸を感じるのは夕食よりも朝食
夢の中でバカリズムとヒコロヒーと錦鯉まさのりさんが保険について語る番組を見てた。バカリさんとヒコさんはすごく理知的に保険を選んだ決め手を説明されてて、改めて尊敬したんだけど、まさのりさんだけ『僕は「か行」から選びました』って言ってて爆笑した。か行の保険会社聞いたことない
M-1アナザーストーリーのサブタイトルが「ライフ・イズ・ビューティフル」になってたの、坂口杏里のAVタイトルが「What a day!」になったのと同じロジックだ
川崎駅の周りにはタリーズコーヒーが大量発生しているので、川崎駅周辺の地図をプリントして、ピンと赤い糸でタリーズを紡ぐと、海外ドラマとかでよく刑事が作ってる犯人の周辺図が作れる
地方出身の人が自分の上京をエモく縁取るための東京語りが苦手で、東京の郊外に生まれた人が自分だけが知ってる東京の良さを宝物みたいに教えてくれるのがすごく好き。東京の中心に住んでる人は東京を語らないです。彼らは、自分こそが東京の象徴でそれは自明の理だと思い込んでる節があるので。
かりそめ天国で読まれてた「かまぼこがいつも使い切れない」ってメールが感動した
こんなにクリティカルなのに誰も唱えてないあるあるが残ってた衝撃
ディズニーシーのソアリンを未だに体験してないんだけど、
未体験者の予想として飛び立つ瞬間、ディズニーリゾートを上から見た景色が見られそう
健気とやせ我慢はaikoのためにある言葉
水木しげるが戦争体験を描いた漫画、腕を失って負傷者扱いにされていらい、現地の部族との交流しつつ療養生活を送るんだけど、それが徐々に楽園(=ぱらいそ)のように変化していく様が、すごくタナトス的な美しさがある
一つ隣で死の恐怖が横たわってる楽園というのは『ソナチネ』と近い
黒人をターゲットにしたホラー映画が少ないのは普段からもっと恐ろしい思いをしているからで、紛争地域でホラーがウケないのも同じ理由らしい
M・ナイト・シャラマンの『OLD』中盤に一つの場所で同時多発的に色んなことが起こるので、いいとも最終回に中居君がやってた「いったん整理しよ」の偉大さがすごく身に沁みた
NOPEは「見えない恐怖」→「見える恐怖」って終盤までのシークエンスでは、劇伴らしい劇伴は流れないで、陰鬱さとか暗さを感じるんだけど、終盤で「見ることの出来た人間による対峙」が始まった瞬間に(https://youtu.be/Ilp7qHb9U-A)この曲が流れるんだからそりゃ高まる
クラシックの現代解釈という意味での「現代音楽」はポップカルチャーと相性が悪いんだけど、ホラー・スプラッター・スリラーには抜群の相性を示すらしい。エクソシストもハロウィンもジョーズも、現代音楽の不安を煽る側面を上手く利用してる名曲
大崎駅の全く憩いじゃない憩いの広場
メンデルの法則を覚えるときに「枝まメンデル」って語呂合わせ使ってたせいで、枝豆食べる度に(枝まメンデルじゃん…)って思考が脳裏を掠めてる。でも調べたら本当はエンドウ豆で、エセ情報パブロフになってしまい詰んでる
USで起こった2020年台HIP-HOPブームって、日本に置き換えたらゲーム実況かもしれないと思った。日本のHIP-HOPも勿論拡大したけど、まだUSほどお茶の間よりも、若者中心のブームという感じで、ゲーム実況の方がプレイする人間のアイコン化とかそれに伴うキャラ要素を重視する風潮が似てるなと思った
ここ数年、Netflix中心にアメリカのハイソサイエティで再ブーム起こしてる、禅の思想を生活に取り入れましょう運動(コンマリ的なやつ)、西洋文化からのナチュラル上から目線を感じてとても嫌い。植民地主義から派生した、他民族を文化すらも支配して、自民族のものとして書き換えちゃう歴史改変的な姿勢の残滓なんだと思ってる
最近のYouTube、AIのおすすめがプラットフォームの軸になっちゃってるせいで、一つの動画がスーパースプレッダー的な役割を担って、ホームがその動画の関連に汚染されまくることが多い
発表されなかったり未完であったりすることに意義が生まれる芸術作品、というジャンルがある
韓国の実話を基にした映画、オタク受けする信念持ったキャラクターがたくさん登場して、そのキャラたちとバックグラウンドにある史実がどんどん呼応していくので、オタクがキャラへの解像度を高めようとするほど韓国近現代史に詳しくなるらしい
通ってた高校が都心駅前一等商業施設になるらしい。資本主義は無情
人間は真実を自己の解釈によって、都合の良い事実に改変して記憶してしまう。でも、それは人間という生物の反り返りとして自然なことなので、それを無理矢理、矯正して真っ直ぐにしようとしても上手く行かなくて、都合の良い事実などほぼ無いということを意識し続けることで、対策していくしかない
大勢のやってる行動は正解じゃなくて、基本は現状維持に過ぎない。それはある種絶望的なニュースであるのだけれど、自分一人がおかしな行動し続けても、いずれは他が勝手に同一行動をして、極限で収束へと向かうと考えれば、安心出来る事実なのかもしれない
レシピやアートが増えているんだけど、これが進むと資本による知の独占システムが再び形成されてしまうので少し恐ろしい
英単語を、接頭語と語根で切り分けて覚えると最初は時間かかっても、途中から加速度的に覚えられるし、未知の単語への対応力とかも高くなると思うんだけど、そういう逸脱した個を許さないために日本の教育はスピードが早いんだと思う
単語の分類、現在進行系→現在形で、現在形→原形のがニュアンス正しいと思う
『悪貨は良貨を駆逐する』を耳にするといつも『ラッカは静かに虐殺されている』を思い出す
『割り打ちの銀』を耳にする時はいつも『鉄鍋のジャン』を思い出してる
りりちゃん魔法完全攻略マニュアル、HUNTER×HUNTERならヨークシンシティでオークションにかけられてる特殊アイテム
ジャンプラがジャンルレス&新陳代謝の速さ&間口の広さによって、10年満たない間にジャンプよりも強いメディアになった事実、やってることを考えれば当然なんだけど、どうしても衝撃が揺るがない
スケットダンスで架空競技に熱中する回が最高なのって、他人からは価値がないと思われることを、真剣に取り組んでいる人たちはいつだって美しいからじゃないかな
ドラゴンボールとかのジャンプ作品で顕著な少年漫画の強さインフレ問題だけど、それよりもっと前に手塚治虫が、敵を倒すほど人形化した体が元の人間の肉体に戻る、って方法で戦いを重ねるごとに主人公が弱体化する=デフレすることでそれを解決策を示してるんだけど、旅の目的とインフレの解決をたった一手で解決した『どろろ』オーパーツ過ぎる
少年漫画は結局は強さの理由が血筋なので、ビルドゥングスロマンに見せかけた貴種流離譚
『ギャグマンガ日和GB』の6巻が久々にベスト更新したレベルのキレと面白さがあってとても良かったんだけど、芭蕉さんの俳句も進化してて「富士山の登頂遂げた知らん人」とか「ビーチまで徒歩一分は嘘だった」って句は、もう穂村弘の短歌集に載ってても違和感ないなと思った 短歌と俳句の違いはあるけど
芭蕉が晩年めざした"軽み"の理念も色濃い
『ひかるイン・ザ・ライト』最終巻でひかるが蘭ちゃんに向かって、月明かりの下で『Carole King - You've Got a Friend』を歌うシーン は2022年の漫画で一番良いシーン。
2020年の漫画で1番良かったシーンは『バーナード嬢曰く。』5巻のデジャヴの回でしおりとさわ子が橋の上で天使のはしごの話をするシーン。今この瞬間の風景が思い出に変わる美しさ。
ちいかわはほぼ眉で会話してるんだけど、欧米人は口元で表情を伝えて、日本人は目元で表情を伝えるらしいので、ちいかわはとても日本人が共感しやすい生物
ファンダムが力持ち始めて、未発表情報とか物語の途中にも関わらず、杞憂とか期待に基づいた強めの意見を言う人が増えてる。消費スピード早くなったせいで悠然と構えるみたいな姿勢が無くなってる感じで、もっと保留ってスタンス取れないのか…
ストーカー気質って「一方的な愛で相手のことを見つめがち」って意味合いで使われるけど「妄想力と行動力が結びつきやすい」ってファクターの方が強い気がする。後悔で終わる大半の人の恋愛は、一方的な愛を行動に移せず時が過ぎていくから
『城塚翡翠シリーズ / 相沢沙呼』とか『魔眼の匣の殺人 / 今村昌弘』もそうなんだけど、ミステリー小説の潮流として「因果」の果よりも因に重きを置いた作品が目立ってる
こういうwhyとhowに重きを置くためにwhoを先行して明かす、言うなれば"犯人決定型ミステリ"の潮流は、個人的に『神様ゲーム / 麻耶雄嵩』が作ったんじゃないかと思ってる
他メディアだと刑事コロンボとかが近い気がするけど、あれは本格ミステリというより犯人との対決に重きを置くための手法で、ドラマという特性上、役者のランクで犯人が分かってしまう構造を逆手に取ったところから生まれたなので
「見立て殺人はミステリー小説のための殺人であるか否か」みたいなミステリーの定義にまつわる作家の議論が大好き
事件解決するタイプの大学教授になりたい
助手を君付けで呼びたいし、食堂のおばちゃんに毎回注文する前に「はい、先生はBランチね」って言われたいし、トラブルに見舞われた生徒が噂を聞いて飛び込んでくる駆け込み寺みたいな研究室にしたいし、ライバル教授が仕向けた巧妙な罠を潜り抜け、学会にライバル教授の悪事を告発したい
「以前友人と酒を酌み交わしてる時にこんなことを言われた」で始まる文章は実際には、作者の自問自答であることが多い
小説のアンソロジー本、好きな作家が多ければ、多いほど後々短編集に収録されるから買わないでおこうとか思って手を出さなくなりがちなんだけど、意味わかんないな
ケンタッキーが一番美味しくなるのはクリスマスの次の日らしい
雨で濡れると絵が浮かんでくる初めて広告が浮かぶ看板とか技術的に難しいのかな
一部の熱狂なファンと土地の歴史が有機的に絡んでくる文化は基本的にどれも面白い
ハリウッドはもう大人の事情の撤廃でしか夢を見せることが出来ないのか問題
みにくいアヒルの子が嫌いなんだけど、あんな連中に受け入れてもらうことをハッピーエンドと位置付けていることに、大人の傲慢が透けて見えるからだろうな
触覚で分かる腕時計とかあったら、朝眠い時に目を開けず時間を確認出来るから便利〜、と思って調べたら、ちゃんとユニバーサルデザインの一環として作られてて、自分の浅はかな動機に申し訳なくなった
近年のPIXAR作品、一作目は安定のハッピーエンドなんだけど、二作目から途端に作家性出してくる
カードゲーム用語のバニラの語源が面白い
てっきり遊戯王由来(カードの縁の色)だと思ってたんだけど、MTG発祥でプレーンな味としてのバニラかららしい
広辞苑にタモリの名前は載ってないがみうらじゅんは載ってるって話が面白かった(「マイブーム」の項目の中に名付け親として記載がある)
日本人はどれだけ有名でも故人しか掲載されないらしい
雑誌の表紙だけを集めた写真集とかイラスト集とか販売して欲しい。J-IDEOとか中身に興味あるわけないんだけど、あのもやしもんの表紙良すぎて、いつも手に取っちゃう。
品川シーサイドからお台場にかけてのエリアが一番平成に取り残されてる感じがして好きかもしれない
「猫に小判」と「豚に真珠」みたいな関係の現代版は「炭鉱のカナリア」と「靴磨きの少年」
第二外国語以降で日本語を習った人が一番使いこなすのが難しい単語「渋い」な気がする
山岡さんという人間(美味しんぼ「ハンバーグの要素」に寄せて)
最近はYouTubeで美味しんぼを見ている。最初の主題歌がDang Dang気になる〜♪のやつじゃなくとても面食らった。(美味しんぼはDang Dangで、ドラゴンボールGTはDAN DAN)
美味しんぼとは、父・海原雄山と子・山岡士郎が食対決を通じて、親子の葛藤やわだかまりを乗り越えそうになったり、もっと深めたりする話だ。日本がバブルと呼ばれた時代に人気を博した作品の一つ。
主人公の山岡さん(同僚兼ヒロインの栗田からこう呼ばれている)は、父親である海原雄山が持つ食への狂気的なこだわりと家族を省みない父権的な姿勢に嫌気が刺している。そのため母親の姓である山岡を名乗り、大人になっても絶縁状態を保っている。大学で習ったような言葉を使えば、エディプス・コンプレックスを軸に、食文化をテーマとした漫画と言えるだろう。それ故に海原雄山の父でありライバルでありラスボスという姿勢は、見るものに強烈な印象を与える。だが今回考えたいのは山岡さんのキャラクター性だ。
普段はぐーたら社員だが、一度食のこととなれば凄まじい実力を発揮する。美味しんぼの読者層を狙い撃ちした分かりやすいヒーロー像だ。たしかに山岡さんは凄い。食のみで人々の悩みを全て解決する。ドラえもんが四次元ポケットを使うように、山岡さんは美食倶楽部時代の人脈を駆使して日本中のあらゆる食材をゲットする。1人でTOKIO5人分という勢い。おそらく美味しんぼ世界では山岡さんまで、三次の隔たりくらいで辿り着けるのだと思う。それくらい本当に人脈が広い。銀座の味を知り尽くしたホームレスのおっちゃんとかどこで知り合うんだ。
だが山岡さんの武器が食であるのと同時に、山岡さんの弱点も食なのである。
何というか山岡さんは人に食べさせることに絶対の自信を持っている。それはたしかに良いことなのだが、自信を持ちすぎているが故に、それ以外のコミュニケーションを知らないのでは?とすら思うことがある。
この傾向が特に強い回にアニメ版第25話「ハンバーガーの要素」がある。この回は海原雄山の名ツンデレっぷりが楽しい回でもあるのだが、注目したいのは山岡さんだ。この回の山岡さんはとにかく何も言わない。びっくりするくらい何も言わない。たしかに協力はしてくれる。アドバイスの素振りもしてくる。だけど全然何も言わない。何なら試すような真似をしてくる。
今回の登場人物は、海原雄山の元を離れ、チェーン店には真似できない高級志向のハンバーガー店を作ろうとする料理人・宇田。
宇田からアドバイスを頼まれた山岡さんは、「まずは他の店の味を知ろうや」と宇田をチェーン店に連れていく。まず当然だがハンバーガーチェーンに着いて食べただけでは、山岡さんは何も言わない。宇田に「パンがパサパサですね」「こっちの店は肉が油っぽい」などと自分の意見を言わせてから、初めてその理由を解説してくる。まあこのくらいのスタンスの人は割といるだろう。是非はともかくとして、本人に実感させ、意見を言わせてから理由を語るという教育方法は比較的メジャーな部類だ。
チェーン店を巡った後、山岡さんは宇田に彼の渾身のハンバーガーを作らせる。市販のハンバーガーと彼のハンバーガーを食べ比べようというのだ。ここで山岡さんがアドバイスを言えば今回の案件は終わる。そう誰もが思った矢先、山岡さんは今回、最大のチャンスを逃す。あろうことに山岡さんが口を開きかけたその瞬間、宇田のハンバーガー店にある人物が来襲する。そう、海原雄山だ。
海原雄山は入ってきたなりすぐ、何か言おうとする山岡さんを横目に、宇田にハンバーガーを作らせる。そして、一口食べたところで吐き捨てるように「売り物にならん」と言い放ち店を後にする。アニメの時間にして約3分半。実時間では1分足らずという世界だろう。だがその瞬間に海原雄山の残したインパクト、存在感は凄まじい。
このアクシデントを機に山岡さんは完全に拗ねる。自分の親、宿敵である海原雄山の残した衝撃に怯えた小動物のように。山岡さんはすっかり何も言わないモードに入ってしまう。
海原雄山の襲来に打ちひしがれた宇田は「何だいまの嫌がらせは!」と怒りに身を任せる。当然である。自分の料理人としての矜持を一瞬で落とされたのだ。それに宇田も一度は海原雄山に師事した身。かけられた言葉は相当なショックだったろう。人間は心理的にショッキングか出来事が起きると自身を守るために、敵意を剥き出しにせざるを得ないことがある。宇田は反応はとても自然だ。
だがそれに対し、山岡さんは「いまのをただの嫌がらせだと思うか?」など意味ありげなことを言う。だが肝心なことは何も言わない。この辺は本当に不可解である。彼の中に答えがあるのかないのか。まるでファム・ファタールのように宇田を、私たち視聴者を悩まさせる。
その後、山岡さんは知り合いの中松警部を呼び許可を取らせて、宇田に銀座の歩行者天国でハンバーガーの出店をさせる。そこで山岡さんは驚きの行動をとる。あろうことに何と宇田が魂を込めたハンバーガーを50円で売らせ始めるのだ。宇田のハンバーガーは高級志向。とてもじゃないが、市販のハンバーガーよりも安い50円では採算は取れない。売れば売るほど大赤字だ。だが山岡さんはそれに留まらず客に「不味ければ50円すらも払わずハンバーガーをそのまま返してくれれば良い」と言い放つ。
非情だ。明らかに常軌を逸した非情さだ。こんなことやっている内容は、海原雄山のそれと何ら変わりない。むしろ公開処刑を行う分、海原雄山よりよほど酷いのではないか。食への圧倒的な狂気。どれだけ嫌っていて似ずにはいられない。親子の血縁というのはそれほどまでに濃い。そして山岡さんはその事実に気づくことはない。なぜならこれが己の正義であるから、父親への反抗であるから。父親への反抗が、父親を真似することなんて、そんな無様なことがあるわけない。少なくともこの時の山岡さんはそう信じているのだ。
それでも宇田はへこたれずにハンバーガーを一心不乱に作り続ける。どれだけ取り繕っていても内心はズタボロだ。だがそれでも50円という破格の金額に釣られた客は集まり、宇田はその客に笑顔を見せ続ける。天性…天性の料理人である。
だがすぐその笑顔すら消え失せる。宇田が材料から己のプライドまで全てをかけて作ったハンバーガーに対し、客は50円すら払わずに山岡たちに返し去っていくのだ。もうこの時点で宇田は痛いほど分かったはずだ、自分のハンバーガーには問題があること、海原雄山のような美食家のみならず一般人にすらそぐわない致命的な欠点があることに。
セオリーならばこの時点でもう山岡さんは答えを与えるべきなのだ。宇田は気づいた己の未熟さに、自らのハンバーガーの欠点に。あとは山岡さんがハンバーガーの真髄を、本質を、彼のハンバーガーに足りなかった部分を諭すだけで終わるのだ。
だが山岡さんは言わない。何も言わないのだ。こちらが言ったとはいえ、客が50円のハンバーガーに支払いもせず、まるで不良品であるかのように店に返し続ける異様な光景を目の当たりにしながら、この状況を作り出したのが自分自身でありながら、さも当然であるかのように瞬きひとつせず通す、沈黙。
cm後、舞台は再び宇田のハンバーガー店に戻る。時刻は夕暮れ。宇田は口を開く、「自分は気づいていた…」と。「自分でも試作の段階で気づいていた。このハンバーガーの違和感、おかしさに…。最高級の牛肉を炭火で焼いたハンバーグ、最高級のトマト、たまねぎ、ケチャップ。だが、それがハンバーガーになった瞬間、上手く行かない。」と。
そう、宇田は知っていたのだ、このハンバーガーに欠点があることを。知りつつ作っていた。自信があるかのように振る舞っていた。何故か。それは料理人としての矜持だ。いくら美味い料理でも料理人に自信が見られなければどうか?海原雄山も作中何度も言っているが、料理に重要なのは食材だけでない、人をこそ、料理人をこそ一流で初めて完成すると。だからこそ宇田は自信を持ってつくる。己がハンバーガーを。そこに迷いがあってはいけない。それは山岡さんの正当な判断に支障をきたすから。宇田は知りつつ作った。そしてあとは山岡さんに答えをもらうだけ、最初からそれだけだったのだ。
本当はいらなかった、海原雄山の突入劇も、出店での光景も。あの歩行者天国で起きた惨劇。行ききった資本主義社会が、いやあの悪魔・山岡士郎が生み出した地獄のような光景は。本来必要なかったのだ。何故なら最初から、最初から宇田は気づいていたのだ。
だがそれも終わる。宇田は山岡さんに問う。夕暮れのハンバーガー店で。自分がもった初めての店で。「一体何が問題だったんだ!?」
とうとう山岡さんが重たい口を開く
「寿司屋へ行こうか…」
♢
この続きの衝撃の結末は是非己の目で確かめて欲しい。
↑の四話目
♢
山岡さんのこの物言わぬヒーロー像は、平成が生んだ寵児・木村拓哉に受け継がれている。そして山岡さん自体にも源流にを辿ればどこかにオリジンがあるはずだ。それらについては今後また考えていきたい。
最後にこの昭和を代表する漫画である美味しんぼに、令和の最新の話題作であるタコピーの原罪から最終回のセリフを引用したい「おはなしがハッピーをうむんだっピ」
バブルから平成を経て、日本人はようやく対話することの大切さを知った。
デジタル勘違い
この数十年で人間のテクノロジーはかつてない進歩を遂げているらしい。
人間が何万年という時をかけて類人猿から進化してきたというのに、iPhoneは数年単位で新作が登場してくる。この進歩のスピードは加速度的であり、これから近い将来必ずシンギュラリティが起こるともっぱらの噂だ。
テクノロジーについて行けなくなった人間の脳が引き起こすバグがある。これをデジタル勘違いと名付けたい。
例えば、
・録画じゃないのに、テレビのCMをスキップボタンで飛ばそうとしちゃう
これはデジタル勘違いの初歩中の初歩。初級編といったところである。録画ばかり見ているせいでクセが染み付いてる自分が少し怖くなる。
・逆に録画見てて地震速報流れると揺れると思ってビックリしちゃう
これですぐNHKに変えたら、何食わぬ顔で試してガッテンが放送されてた時の狐につままれた感は半端じゃない。
・ゲームアプリの広告で実際に試しプレイできるやつかと思ったら、全然そんなことなくてアプリのストアに飛ばされる
これのタチ悪い所は試しプレイできる広告が割と多いことだ。プレイできる広告に紛れさせてるせいで、毎回どっちのやつか分からなくなる。この二択毎回外してる気がする。あと実際に試しプレイできるやつかと思ったら、本当に試しプレイ出来るやつで、やったーって思ってプレイしてたら、3操作目くらいで急に広告が変わってストアに飛ばされるやつもある。あのぬか喜びが1番情けない。
・YouTubeで広告見終わったと思ったら、誤タップで全然見たくもない動画を再生してて、見たかった動画でもう一回広告を見るハメになる
これのせいで、黒人がスタバに文句言ってたら途中からビートが流れてきてHIP-HOPみたいになるやつと、地面の穴にメントスとコーラ入れたら魚がビチャビチャ飛び出てくるやつを何十回も見てる。
ここまでは初級である。
最後に上級編として以前遭遇したデジタル勘違いを紹介したい。
大学である講義を受けていた時のことである。その時期はコロナウイルスの影響もありオンラインでの講義が続いていた。この講義もご多分に洩れずオンラインでの講義であり、教授が事前に録画したものを期限までに生徒が見ておくという形式だった。
それが最終回に初めてリアルタイムで講義を行うことになった。もちろん時間通りに出席したのだが、どうも様子がおかしい。やけに教授の話す速度がゆっくりなのだ。調べたところ自宅のWi-Fiには問題がなく、もしかしたら教授は深刻な病を抱えていたり、この世ならざるものに干渉を受けていたりするのだろうかと心配になった。
後々、復習のために以前の講義のアーカイブを見返してた時に気づいたのだが、いつも1.5倍速でアーカイブを見ていたせいで、現実世界で一度も会ったことのない教授の話す速度は、自分の中で1.5倍がデフォルトになっていて、相対的にリアルタイムの話す速度が1.5倍遅く感じた、というのが原因だった。
逆に久しぶりに知り合いにいつもの1.5倍で話しかけてみると良いかもしれない。相手は混乱し、いまいる現実世界こそがアーカイブだったことに気付き、あなたはその瞬間から何度も繰り返し1.5倍で再生され、次第に忘れ去られる存在へとなったり、ならなかったりするかもしれません。